【A浅草で落語聴いて天丼食べた】   

No.1東京と日光旅(71歳の時)

やけくそじじいとばばあの日本写真旅

                                                                                                        
2025年11月10日(月)ー2日目(東京浅草)
   

ホテルトレンドから浅草寺がきれいに見えるのは

その手前に大きなコインパーキングがあるからだと気づきました。

都会なので普通はビルが邪魔して見えないのです。

興味深かったのは、その駐車場のど真ん中に普通の家が建っていることでした。

この駐車場のオーナーなのか、

それとも売ってほしいと言われても、いやだと売らなかった人の家なのか……と

あることないことを勝手に想像するばばあでした。



昨夜は午後11時に寝て、今朝は午前2時半から寝られず

仕方がないので5時前に起きて、

昨夜コンビニで買ってきた全然辛くない明太子おにぎりを食べました。

それから窓の外の浅草寺を見たら、早朝から数人の人たちが歩いているのが見えました。

浅草寺境内には24時間いつでも入れるのです。

ほんとに近いので、歩いている人まではっきり見えるという

素晴らしいロケーションにあるホテルです。

でも同じ7階でも、浅草寺が見えるのは
701号室と702号室だけです。

意図してなかったのですが、たまたま701になって幸運!とつくづく思いました。



 

せっかくなので、朝の散歩にでかけることにしました。

じじいはグーグー寝ていたので、ばばあ1人で行きました。

ほんとに近いので気軽にさっと行けるのが素晴らしい!!!




マツモトキヨシ(ドラッグストアー)を曲がって、二天門入口から入るのが

ホテルから浅草寺に行く一番近道でした。


   

驚いたことに、二天門の手前に東京消防庁 二天門出張所がありました。

やはり二天門は国の重要文化財だからでしょうか。

金沢でも金沢城と兼六園のすぐそばに消防車が待機しているのと同じですね。



二天門よりも、その手前のキリっとした「江戸っ子松」がかっこいい。

     
 



ここに来るまで知らなかったんですが、浅草寺のそばには伝法院(でんぽういん)通り

という江戸っぽい名前の商店街があって、屋根の上に等身大の粋な人形さんが

あっちにもこっちにもいっぱいいました。

後で調べてみたら
歌舞伎の「白波五人男」でした。

東海道をまたにかけた、魅力的で個性あふれる五人の大泥棒の歌舞伎の話です。

つまり「泥棒5人男」だから、屋根の上にいるというわけですね。

どの人形が誰なのかはよくわからなかったので、調べてみました。



@「日本駄右衛門」
五人男の頭(リーダー)で「盗み」はしても「人殺し」はしないのがモットー。

「問われて名乗るもおこがましいが……」のセリフがかっこいい。

A「弁天小僧菊之助」
美男子で武家娘に変装して悪事を働く。
名セリフの
「知らざあ言って聞かせやしょう」で有名

B「忠信利平」
元武士で、盗みを繰り返しながら渡り歩く

C「赤星重三郎」
最年少盗賊で、鮮やかな辻斬り強盗が得意

D「南郷力丸」
小田原の漁師出身で「いつかは磔にされる」と覚悟している

この歌舞伎の演目で特に名場面と有名なのが
悪事がばれてとり囲まれた五人が桜咲き乱れる稲瀬川の土手で
1人ずつ堂々と名乗りを上げる
「稲瀬川勢ぞろいの場」だそうで
本当の歌舞伎で見てみたいのですが、YouTubeで見てみました。
子ども歌舞伎でも、よく上演される人気の演目のようでこれまで全く知りませんでした。


E「鼠小僧次郎吉」
白波五人男ではないが、一番有名な義賊


「問われて名乗るもおこがましいが……」リーダーの日本駄右衛門は

車止めの立札を持って、車(昔なら馬かな)を止めています。






   


旅行前に白波五人男のことを知っていたら、五人全員探し出していたのですが残念!

南郷力丸さんを探すのが一番むずかしいらしい。

次回、東京に行ったらぜひ。




白波五人男じゃないんですが、有名な鼠小僧次郎吉までいました。

   

コインパーキングも「最大料金ありやす」とか江戸言葉で書いてあってうれしいです。

車から降りるんじゃなくて、馬から降りる「下馬」駐車場です。


   



こんな標識は浅草ならではです。


仲見世通りに来ると、シャッターが閉まっていて、

そのシャッターの絵が江戸の雰囲気たっぷりでよかったんです。

この
シャッター絵は夜間や早朝など、お店が閉まっている時間だけ見られる

浅草の隠れた名物らしいです。

たまたま早朝に散歩に来て、思いがけず見ることができて

まさに「早起きは三文の得」でした。


  

  

   

  

朝のシャッター通りを駆け抜けていくかわいい江戸っ子幼稚園児

この先に仏教スタイルの幼稚園があります。

    

  

伝法院通りに戻ってきたら、面白いことを書いてある看板を見つけました。

くすっと笑いました。


      

      

板きりむすめ(舌切り雀)         笑う顔にはふぐ来たる(笑う門には福来る)

     7

とんで湯に入る夏の武士(飛んで火に入る夏の虫)


    

ジェラート専門店の「アイスの沼」というお店に、もずくやくらげ、しらすのアイスが

あるようでした。気持ち悪いと思いましたが、ヘルシーなアイスとして

人気があるのでしょうか。食べてみたかったですが開店前でした。





   

江戸時代なら売れただろう三度笠や合羽、脇差のお店がありました!

開店前で見れず、残念……次回東京に来たら見に来ます。




元祖人形焼きの木村屋ー創業明治元年(1868年)ーです。

初代店主が浅草の名所にちなんで考案したのが

五重塔・雷様・ちょうちん・鳩の四つの型です。

本当は食べ歩きしたかったのですが、

日光で人形焼きを食べる予定なので、がまんしました(特に五重塔)。





もうじじいが起きているかなと思い、いったんホテルに帰って

もう1度、浅草寺に2人でやってきました。


  

  

     

 

浅草寺境内を歩いていたら、タワーみたいなものが見えました。

あれは何だろう?……と行ってみたら


    

日本最古の遊園地として有名な「浅草花やしき」でした。

1853年に開園したらしいので、ばばあの生まれた前年からあるんですね。

今の最先端の乗り物と違って、のんびりした懐かしいレトロな雰囲気の遊園地でした。

こんなひと時代前のような乗り物なら、71歳のばばあでも怖くないなと思いました。

つまりこの遊園地は他の遊園地と違って、古くさいところを売りにしています。


    

  

  
 
  

浅草は人力車が似合う下町だと思いました。

金沢の観光地にも人力車は走っているんですが、浅草とは違うんですよね。

人力車って、インドで誕生した乗り物だとばかり思っていたんですが、

実は19世紀後半(1870年代明治初期)の日本で誕生した
日本生まれなんです。

馬車をヒントに東京で発明されたようです。

その後、全国に広がり、今のタクシーのような交通手段でした。

日本では鉄道や自動車が普及するまでは重要な交通手段でした。

そして日本生まれの人力車はアジア各国に輸出され、特にインドでは

年間1万台が輸出され、「リキシャ」という名前で定着しました。

  

二天門前で客待ちしている人力車……素敵です。

  

料金のパンフレットをもらったのでそれによると

お試しコース(10分) 2人で5000円 1人で4000円

いいとこどりコース(20分) 2人で8000円、1人で7000円

いいとこどりコース(30分) 2人で10000円、1人で9000円

大人気コース(60分) 2人で20000円、1人で16000円

かなりお高いですね。

2024年に行ったインドでは100ルピー(170円)くらいでした。

   

私が乗ったインドのサイクルリキシャドライバーのスレンナルさんです。

渋滞になった時には四輪車と違い、倒れるので自転車を降りて歩かなければなりません。

これがとても大変そうでした。

こんな時、人力のリキシャなら、もっと楽なんじゃないかなと思いました。


浅草で見たような人力車なら、2本のかじ棒を引くときに、テコの原理を利用して

わずかな力で動かすことができるそうです。


  

伝法院通りで入ったうどん屋さんのショーウインドウに貼ってあった小さなシールが

「NO UDON NO LIFE」……うどんのない人生なんて考えられない……


ばばあなら「NO PEPPER   NO LIFE」かな……コショウのない人生なんて……

昔のヨーロッパではコショウ1gが金1gと同じ値段だったことがよくわかります。


  

千葉県の船橋からわざわざ浅草まで来てくれたじじいの大学時代の友達と

このうどん屋さんでお昼を食べました。

本当にありがとうございました。


  

上方大阪ならうどん、東京江戸はそばのイメージですが、あえてうどんを食べました。

コシのあるとっても美味しいうどんでした。


3人前で2860円。

  

昼食後、近くのコーヒーショップでケーキやコーヒーを飲んでお話しました。(2650円)

今も現役でカメラマンの仕事をしていらっしゃるのがすごい!

彼はこの頃、大切なものを忘れがちで、全て身体にひっつけているんだよと

笑って教えてくれました。

私たちも同じですよ。何でもかんでも忘れます。グッドアイデアだと思います!

身体にくっつけているものは

@車のキー  A家の鍵  Bスマホ  C財布 

他にも何かあったような……
もう忘れている……

      



夕方5時、ホテルトレンドから歩いてすぐの浅草演芸ホールで

落語を見ました…あ…聴きました。

テレビで見るのではなく、本当の
生の落語を聴きたかったのです。

   

    

5時からは夜の部となります。出演者の木の名札がかけられていて素敵ですね。

チケット2人分で6000円。




写真はここまで。あとは撮影禁止です。


@前座ーふみいち(26歳)


落語を聞くのが初めての私は

ふみいちさんが何を話しているのかがほとんどわかりませんでした。

つまり、はっきり言えば、上手じゃないということです(ごめんなさい)。

わかったのは七重八重の話だけでした。

日光(鬼怒川温泉)で七重八重ホテルに泊まる予定なので印象的でした。

彼は緊張で、汗びっしょりでした。

次の落語家が出る前に座布団とか名前札を直していたので

ああ、この人は前座の人なんだと、その時に気づいたのでした。


 
落語家には身分制度(見習い→前座→二つ目→真打)があり、

前座(ぜんざ)というのは、最初の階級で、寄席で一番最初に出演する人のことです。

テレビだと前座の人は出演しないので、私は前座の落語家を見たかったのでした。

前座の期間は約3年から5年くらいが一般的とされています。

前座修行を経て、次に「二ツ目」に昇進します。

前座の主な仕事は楽屋での雑用、師匠の家事手伝いや、

寄席の準備と片付け(出演者の名前の書かれた札をめくったり、座布団を直す)です。

具体的には、楽屋での師匠たちのお茶を出したり(師匠それぞれの熱さや濃さの好み

まで覚えなければなりません)、高座で使う座布団を裏返したり……

寄席の裏方仕事を全てこなします。



A二つ目ーたま平(31歳)
    

じゃあ2番目に出てきた、たま平さんはいわゆる「二つ目」ということなのか調べてみました。

落語家協会のHPによると、2013年に入門して、

2017年に二つ目に昇進したそうです。


たま平さんは落語家一家の四代目だそうで、あの初代林家三平師匠のお孫さんです。

三平は「どうもすいません」連発の落語家で、昭和世代には懐かしい。



B真打(しんうち)ー林家たこ蔵(46歳)


2003年初めて、落語を聞いて感動し、弟子入りして

2018年に真打となりました。

映画にも出演していらっしゃるようです。

寿限無や、へそのごま占いの話をして頂きました。



Cカンカラ三線(さんしん)演歌師ー岡 大介(47歳)


この三味線のような楽器はカンカラ三線というそうです。

戦後、米兵のベッドの木と缶詰の空き缶で作られた楽器です。

演歌は、明治時代の「演説歌」がルーツだと教えてもらいました。

自由民権運動の中で、政府批判を訴えるために演説を歌にしたもので

演説歌が省略されて、「演歌」と呼ばれるようになったそうです。

へぇー知りませんでした。

いわゆる演歌が好きではありませんが、ルーツは面白い。

大介さんは三線も歌もとてもとてもお上手でした。

労働者の「まっくろ節」や「ストライキ節」を歌ってくれたり、

日本最古の軍歌だと言われている「とんやれ節」も。

宮さん宮さん、お馬の前にヒラヒラするのは何じゃいな
トコトンヤレ トンヤレナ
あれは朝敵 征伐せよとの 錦の御旗じゃ 知らないか
トコトンヤレ トンヤレナ……これ軍歌だったんですね……



D二つ目ー柳家小次郎(35歳)


小次郎さんは海上自衛隊幹部候補生学校という倍率が16倍もの

優秀な学校を出て、
海上自衛隊に入隊後、落語家になりました。

はつらつとした美しい声で軍艦マーチや”月火水木金金金”を歌ってくれました。

船の中では水が貴重なので、海軍カレーを食べる時は

白いご飯の上にカレーをかけるのではなく、カレーにご飯を入れて食べれば

ご飯のお皿が汚れないそうです……確かに……。

山男の歌」は実は「海の男の歌ー巡航節」だったそうで、

広島の海軍兵学校で歌われていた歌で、海の男の生活や心情を歌ったものでした。

「娘さんよく聞けよ。生徒さん(→山男)にゃ惚れるなよ。

沖(→山)でドンと鳴りゃよー(吹かれりゃよー)若後家さんだよ」

その後、歌詞が山男をテーマにしたものに変更され、登山家の間で広まり、

最終的にダークダックスによってレコード化されて全国的に有名になりました。

小次郎さんの話はとても面白かったです。


E真打ー古今亭文菊(46歳)


2002年入門、2003年前座になり、

2006年二つ目に昇進し、2012年に真打となりました。

落語の数々の賞をとっていらっしゃるようです。



F手品ーダーク広和(66歳)


手品までありました。

小学校3年の頃からマジックに興味を持って、

高校生の時から本格的にマジシャンとしての活動を始めたらしいです。



この先も見たかったらずっと見れるのですが、もう6時になったので

幕の間に外に出て夕食を食べに行きました。

生で落語を聴けてほんとによかったです。

じじいは金沢で寄席(地方公演)を見たことがありますが、全然違うそうです。

やっぱり
落語は生で江戸で見ないとね。


夕食はせっかく落語を見たので、江戸らしいお店を探してブラブラしていたら、

いかにもという感じの天丼屋さんを見つけました。


    

先に天丼を食べていた欧米系のおばあ様が帰る時に、

ベリーベリーベリーグッド!」とお店の人に言っていました。

そんなに美味しいのなら、食べるの楽しみ……


  

天丼セット2つで5400円。 

  

こんな色の天丼を食べたことがありませんでした。

金沢ならたれにさっとくぐらせるだけですが、

甘辛いたれに漬け込んであり
茶色ーいんです(つまり色が悪い)。

これこそ”江戸前天丼”だと思いました。



江戸前天丼とは、江戸前(東京湾)で獲れた魚介類を、ごま油で揚げて

甘辛いつゆに浸して、ご飯にのせた、東京の郷土料理です。

その特徴は衣を厚く作って濃い味のたれをしみ込ませた濃厚な天丼だということです。

江戸っ子は、粋でいなせな職人や商人として落語によく登場し、

そばや鰻、寿司などと並んで
天ぷらも好物でした。

そういうわけで落語の登場人物が天丼にまつわる会話をすることがあるわけです。

 

かなりのボリュームだったので全部食べられず、

海老の天ぷら2尾お持ち帰りにしてもらいました(食べ物を捨てるのが嫌いです)。

翌朝、サンドイッチと一緒に食べることにしました。



ところで「天丼」という名前の現役の落語家がいるんですよ!

三遊亭天どんです。



それととても興味深いんですが、落語用語として「天丼」という言葉があるらしい。

同じボケやギャグ、フレーズを繰り返して笑いを取るテクニックのことを

隠語で「天丼」と呼ぶそうです。

これは天丼には海老天が2本以上乗っていることから連想された表現だそうです。

 


天丼を食べ、ホテルに帰って歯磨きした後、

夜のライトアップされた浅草寺にばばあ1人で行ってきました。

海外と違って、夜間年寄り1人で散歩に出かけても何の問題もありません。

じじいは疲れ果てて、行きませんでした。

  

昼間はよく見えなかった消防車が見えました。

消防車オタクの4歳の孫を連れてきたかったです。

そして二天門の大好きな
キリっとした松もライトアップされてとてもきれいでした。

  

  

  

  

    

   

 

早朝のシャッター通りを見ましたが、夜のシャッター通りです。

  

こんな夜まで開いていた人形焼きのお店がありました。

老舗の木村屋は夜間閉店しているので、夜間はよく売れるんでしょうね。


夜の伝法院通りにも行ってきました。

夜の白波五人男を見たかったんです。


  

   

  

伝法院通りからは大嫌いなスカイツリーが見えました。

    

  

  
 

ホテルトレンドに帰って、窓から見えた浅草寺です。

ほんとに、このホテルの701号室最高!!!
 

 
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