【B落ち込んでいる猿を慰める猿】   

No.1東京と日光旅(71歳の時)

やけくそじじいとばばあの日本写真旅

                                 

2025年11月11日(火)ー3日目(東京浅草から日光へ)

5:30起床

6:00には「ゴーン、ゴーン」と鐘の音が聞こえました。

さあ、今日は今回の旅のもうひとつの目的地である「日光」に行く日です。

 

早朝からもう浅草寺を歩いている人が見えました。701号室だから……。

    

このホテルは素泊まりなので、昨日のうちに近くの「明るい農村」という

サンドイッチ専門店で買ってあったサンド(3つで690円)を食べました。

ハムチーズレタスサンド2つとメンチカツサンド1つですが、

見えないすみずみまで具が入っていて、市販のサンドイッチで初めてです。

そして昨夜お持ち帰りしたつゆのしみ込んだ茶色い海老天も食べてちょうどよかったです。

サンドイッチだけでは足りなかったし、ホテルの緑茶ティーバッグでいれた

温かいお茶も美味しかったです。



デザートに金沢から持ってきた
みかん(ホテルの冷蔵庫に入れてあったもの)を

出したら、なんと
凍っているではありませんか!

常温にしばらく置いておけば、溶けて食べられるのですが

そんな時間もないので、ホテルのドライヤーで溶かしてみたら

すぐに溶けて食べられました。ドライヤーをこんな目的で使ったのは初めて。

    

こんなぜいたくな風景を見ながら歯磨きできるのも701号室だからです。


8:30にホテルをチェックアウトして、すぐ近くの

東武浅草駅へ……向こうの方に嫌いなスカイツリーが見えます。


  

  

東武日光駅までの乗車券(指定席特急券はネットで購入済み)を

自動販売機で買いました。

9:10発の「リバティけごん13号」です。


  

車内アナウンスと電光掲示板で「まもなくスカイツリーです」

  

大嫌いなスカイツリーさん、バイバイ! 日光に行ってくるねー。

    

9:30に大きな利根川を通過。

窓際に置いてあるのは、自分で
ホテルで製造した無料の緑茶のペットボトルです。

   

下今市駅で列車の4ー6号車と1ー3号車を切り離す作業に

ばばあはとても興味があり、スマホを持って見学に行きました。

鉄道オタク? 撮り鉄?……て思われているかなとか、

ちょっと恥ずかしかったばばあでした。


東武日光駅に11:22に到着。

  

  

ホームにコインロッカーがあり、スーツケースを預けようかと思いましたが、

大きいコインロッカーは全て使用中でだめだったので、

改札を出てから、駅構内にあるクロネコヤマトで預けました。

クロネコの方がコインロッカーよりも安い(スーツケース2つで1600円)のですが、

問題は
クロネコが夕方5時で閉店するということでした。

つまり日光東照宮から、必ず5時前に帰ってこなければならないということです。

その点、コインロッカーは時間制限がないのですが、仕方がありません。

  
      

東武日光駅は山小屋風です。

日光東照宮へは歩いても行けますが、

途中、食べたいもの(ネットで調べてあった)があるので歩いて進みました。



  

12時前に日光名物の”ゆばむすび”の「補陀落ふだらく本舗」に着きました。

大きな看板が目に入り、グーグルマップ青い矢印なしですぐにわかりました。


  

    

なんとありがたいことに、店内にはゆばおこわを食べさせてもらえるコーナーがあり

セルフサービスの温かいお茶まで……寒かったからうれしかったです。


    

普通は海苔を巻くところをゆばで巻いてあります。

1パックでタンパク質7.6gが摂れるようです。

納豆1パックが6.6gのタンパク質ですから、かなりのものです。

1パック600円を2人でシェアーして食べました。

ところで日光はなぜ湯波(日光のゆばは
湯葉ではなく湯波と書く)が有名なのでしょうか?

日光は古くから山岳信仰の拠点で、精進料理の重要な食材として発達したからです。

修行僧や山伏の栄養源として重宝しました(乾燥ゆばは持ち歩きやすい)。

京都のうすいペラペラの湯葉と違い、日光の湯波は二重に折りたたんであるので

ふっくらと贅沢な厚みがあり、表面が美しく波打っているので「湯波」なのです。


そして次の目的地のみしまや(人形焼き)は実は

グーグルマップの青い矢印を使ったら、ゆばの店のすぐそば、斜め向かいにありました。


  

     

Monkey Cake お猿のケーキ と書いてあるのが可愛い!

こちらのお店は人形焼きの店ではなく、本当は日光彫りのお店なんです。

店主さんは日光彫りの老舗三島屋の4代目で、多摩美術大学で彫刻を学んだあと、

地元、日光の新名物となるような人形焼きを考案しました。

日光のシンボルである陽明門・三猿・眠り猫・龍をモチーフに、焼き型を作り、

美味しい人形焼きで再現したというわけです。グッドアイデアです。

  

せっかくなので、全種類入った詰め合わせ(1600円)を買いました。

  

右写真の両側の龍ですが、向かって右側が下り龍。左側が昇り龍で、

真ん中が日光東照宮の陽明門。




眠り猫も。

  

お店の前にベンチが用意されていたので、三猿だけ残して四個を頂くことに。

食べられる彫刻なので、じっくりとその造形を楽しんでから大切に……と思ったけど

……
陽明門を壊す怪獣みたいにガブっと頂きました

あんこがあっさりして美味しい。


      

お店の前の石の造形が美しい。

      

人形焼きのみしまやさんのすぐそばの「石屋町」バス停から

東照宮前の「神橋」バス停まで、バスに乗りました(2人分400円)。


   

   

バスはすぐに来ました。

じじいが心配性のため、念のため運転手さんに確認したら、今はシーズンなので

最寄りのバス停の「表参道口」には行かないけど、

その手前の「神橋しんきょう」には行くとのことでした。


    

5分くらいで神橋バス停に到着。

東武日光駅から歩くと30分くらいらしいですから、

時間がたっぷりあれば歩けばいいと思います。


   

こっち側の橋(日光橋)から、赤い神橋(しんきょう)を見ます。

今は車が通るこの日光橋は、明治時代には馬車鉄道のレールが敷かれていたそうです。

      

神橋は大谷川(だいやがわ)に架かる朱塗りの橋です。

近くの二荒山神社で神前結婚式をあげるカップルは

「神橋渡り初め」という厳かな神事で、神橋を渡るそうです。


  

日光東照宮の入口にあり、日光のシンボル、表玄関です。

神橋の下の部分が注目ポイントです。

橋げたを両岸の土の中に埋め込んであり、木製の橋を石の橋脚で支えているんです。

橋脚を石造りにしたのは、江戸時代初めの当時としては最先端の土木技術でした。

そうですね。ブルトーザーもないのに、どうやって重い石を橋脚にしたのか。

今ならコンクリートで橋脚を作りますが、重い石は相当大変です。

その頃にタイムスリップしてみたいものです。


 

ところで神橋はなぜ赤いのでしょうか?

悪から守るためで、単に見た目がきれいだからではないらしい。


赤は生命の源の太陽や血液の色を表しており、

その強い生命力が悪魔や邪気を追い払う色として信じられてきました。

  

1889年(明治22年)、あるイギリス人が汽車で4時間かけて宇都宮へ行き、

さらに人力車で5時間かけて日光に到着して、神橋のことを

「橋の朱色と川の両側の緑の木々のコントラストが見事。」と書きました。



1902年(明治35年)、台風による大洪水で神橋は流出し、

1904年に37000円(その当時の大金)かけて再建されました。



神橋は 9:30から15:30までの間だけ、渡橋券を買って渡ることができます。

但し、渡っても向こう側へは行けず、通せんぼされているので引き返さなければなりません。

でも江戸時代は徳川の将軍と日光修行中の山伏しか渡ることができなかった神聖な橋を

渡ることができるんですから、それなりに意味があります。

それでも明治時代からというわけではなく、1973年(昭和48年)からです。

   

いよいよ日光東照宮に来ました。

私たちの知り合いの人(76歳)なんかは、8回も日光東照宮に来ています。

それぐらい魅力的な所なんでしょうかね………謎です。

北極星は動かない不動の星で、古代中国では宇宙を支配する神として認識されていました。

つまり「この世の政治を司る将軍」のいる江戸城と「宇宙を支配する神」の北極星を結ぶ所に

日光東照宮が建てられることになったということです。

昔って、以外にも神秘的。

だから家康のお墓は江戸城の真北にあるんですね。

  
     

2人分で2800円

  
ばばあは全然興味がないのですが、じじいが見たい見たい(正確に言えば写真を撮りたい)と

数年前からいい続けてきた
三猿のところについにやってきました。

   

この建物の壁にずらーっとお猿が並んでいました。

三猿以外にもいろいろな猿の彫刻があったんです。全然知りませんでした。

人間の一生を猿の一生(8枚の彫刻絵)で表現しています。


本物を見て率直な感想は「意外と面白いじゃん」でした。

お猿の顔つき、表情がお茶目です。



お猿の一生のスタートは人間と同じく、かわいい赤ちゃんからスタートします。

猿の一生のはじまりです。



  

次に幼少期に入ります。有名な「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿ですね。

子どもというのは、何にでも興味を持つものなので、

「幼い時は、悪いことを見たり聞いたり言ったりせずに、

立派な大人になってほしい」という願いが込められていますね。


ばばあは幼い頃、現在と違って好奇心旺盛な子どもではなかったので言えますが

好奇心旺盛で、いいことも悪いことも何でも見たり聞いたりした方がいいんじゃないかな……。




三猿の隣には、一匹の猿がいます。

ここまではお母さんや友だちといた猿も、ここで「ひとり」になっています。

成長して、青年期を迎えました。




前の猿は一匹だけでしたが、今度は二匹になっています。

一緒に人生を歩んでいく友だちができたということでしょうか。




何と、「挫折した猿を慰める猿」までいたんです!!!

下を向いている猿はその人生で挫折を感じて落ち込んでいる様子ですが、

その背中に手を置いて慰めている友だち猿が描かれています。



この二匹は、右がオス猿、左がメス猿らしいんですが、

何をしているのか、イマイチわかりませんでした。むずかしい。

そして最後が妊娠した猿が描かれているということなんですが

これが近くで見れなかったので(通せんぼしてあるから)、

仕方がないのでネットからお借りしました。



「見ざる聞かざる言わざる」は日本発祥だとばかり思っていたら、実は世界中にあるんです。

英語では「Three wise monkeys」と呼ばれているようです。

古代エジプトやインド、東南アジアにも。


 

 

日光東照宮の陽明門です。さっき人形焼きの陽明門を食べてきました。

江戸時代、一般庶民もこの陽明門までは入ることが許されていました。



      



陽明門の真上に北極星が輝く輝くように設計されているって……凄いですね

徳川家康が、宇宙の最高神と考えられていた北極星を拝むことで

東照宮の家康を拝むことになる(世の中の平和を願う)という宗教的な意味が込められています。

  

陽明門は金沢特産の24万枚の金箔が使われている金ぴかの門です。

金箔の厚さは1万分の1mmで、1枚ずつ丁寧に貼られているそうです。

日本で最も美しい門として知られているらしいですが、

ばばあは日本の全ての門を見たことがあるわけではないのですが

一番嫌いかもしれません。金ぴかだから。


でも508の彫刻が単なるデザインではなく、思想やメッセージが込められている所は好きです。

例えば中国の学者が幼少期に、貴重な水がめに落ちてしまった友だちを助けるため

石でかめを割って助けた……何よりも大切なものは人命だと教えてくれています。

  

陽明門前で団体ツアーのガイドさんのお話を聞いてみたら

子どもが安心して暮らせるような世界を再現した彫刻だそうです。

よくよく見てみましたが、全然わかりませんでした。


        

そして陽明門の柱12本のうち他の柱と模様が違う柱が1本あるとのことでしたが

どこがどう違うのかが、どうしても分からなかったので、

これもどこかのツアーのガイドさんの言うことに耳をすませていると

わかりました! お猿みたいな模様が違うんだということでした。

上の写真の向かって左の柱だけが、お猿みたいな顔が上下逆になっていました。

こっそりツアーガイドさんのお話を盗み聞きしてしまいました。


        

三猿よりも陽明門の金歯の白いお獅子がとても好きです。

目・歯・つめ(ひづめ)が金ぴかで、白い体に合っているんですよ。

そして8頭のお獅子の全て口の開け方が違っています。


  

          

  
  


特にこの金ぴかのつめが素敵です。

 
眠り猫のある坂下門です。

 有名な「眠り猫」の彫刻は左甚五郎作と言われています。

   

     

眠り猫の裏側には「雀すずめ」

猫が眠っているので、雀は安心して暮らせるということか。

弱肉強食の戦国時代が終わって、家康によって、

平和な世の中(江戸時代)が訪れたことを象徴しているのでしょうか。

    

昔の猫は雀も食べたのに、キャットフードしか食べない今の猫のだらしないこと……

 

午後2:00に奥の宮へ、トイレを済ませてから、ばばあ1人で上り始めました。

じじいは 
「絶対に無理!」と最初から上りませんでした。

あーあ、ネットに洗脳されているよ。

今年は71歳で、もしかしたら5年後には登れなくなっているかもしれないんですよね。

じゃあ「今でしょ!!!」


   

この石段ですが、ちょっと見にはコンクリートみたいですが、

”一枚石”ということに物凄く驚きました。

そんな豪華な階段、これまで登ったことがなかったからです。

昔、機械もトラックもなかった時代に重い岩を加工して

ヨイショヨイショと運んできたということです。



 奥の宮(家康のお墓)まで何段あるのか数えてみました。

全部一度に数えると、途中で忘れたり、誰かに「今、なんどきだい?」とか

聞かれると困るので、一区切りごとに数えて紙に書いて合計しました。

5+26+10+38+58+52+12+7=208段でした。

207段のはずなのに、どこかで間違えたか……。

まあ、ほとんど合っているのでよしとすることにします。

2時にゆっくり上り始めて、2時10分に一番上に着きました。




それにしても、全然しんどくないのに、ネットでは

どうしてあんなに大げさなことを書いてあるのでしょうか?


例えば、50歳でヒーヒー言って登ったとか、足がブルブル震えたとか……


  

徳川家康のお墓です……とされていますが、

誰も掘り起こしたことがないので、本当に骨があるかどうかは不明らしいですが。

      

  

右の写真の黒いダウンの外国人男性は

後ろ向きに階段を下りていましたが、何かのトレーニングでしょうか?


世の中には不可解なことをする人がいるものです……がそれが面白い。

  

奥の院から下に降りてきて、ばばあはじじいに

「全然しんどくないから、奥の院の階段を登ったら?」
と勧めました。

すると……驚いたことに
「登る!」と言うので、一緒に登ることになりました。

ばばあは2回、しんどいと評判の階段を上ったのでした。

1回目は1人で登って10分間、

2回目はじじいと登ったので、かなりゆっくり登って15分かかりました。


 

奥の院にも行ったし、さあそろそろ帰ろうかなと思って歩いていたら、

薬師堂があって、人が次から次へと中に入っていくのが見えました。

「鳴き龍」の天井画のある所です!……私はここに行きたかったんです。

天井に描かれた龍の頭の真下で拍子木を叩くと、龍が鳴く……という

不思議で幻想的な現象が起こる……と。

でもこれは伝説ではなく、実は科学的現象だそうです……建築と音響が生んだ奇跡。


行列について、やっと堂内に入ることができました。

1人のスタッフさんが天井に描かれた龍について説明してくれました。

説明後、龍の頭の真下で拍子木を打つと
「キーーーーン」という龍の鳴き声。

その後、真下じゃない場所で拍子木を打つと、ただ「カーンカーン」

なぜ、あの真下だけで起こる現象なのでしょうか???

それにしても龍(想像上の動物)の鳴き声なんて誰も聞いたことがないのに……

姿だけでなく、声まで想像上の龍でした。


    

自宅から孫のおもちゃの積み木2本を持参して行ったのに、実験できなかったんです。

ガイドさんの拍子木を叩いている音を聞くのみで……残念。

自分でやってみて納得したかったんです。

本当のことを言うと
有料で貸し切ってもいい!!!からやりたかったのでした。

中は撮影禁止・録音禁止なのでネットから写真をお借りしました。

 
 
   

  



途中、水がドーッと流れているのを見て、やっぱりここはスカイツリーと

同じ高さなんだと実感。


  

  
 

心配性のじじいが5時までにクロネコヤマトに行かないと荷物が出せないと

うるさいので、仕方なく3時半に東照宮を出ることにしました。

3:50から神橋バス停で東武日光駅行きのバスを待ちました。

時刻表によると4:05にバスが来るとのことでした。


   



神橋バス停前の古い建物前には、ロープウエイのゴンドラを再利用した

公衆電話ボックスがありました。


15分くらいバス停で待っていました。

バス停で待っている間、またまた
じじいの心配性の始まり始まりー。

夕食の時間制限7時までに帰れないかもしれないから

タクシーで日光駅まで行こうと言うのでした。

まだまだ時間があるというのに………。

  

そうこうしているうちにバスが来ましたがたくさんの人が既に乗っていました。

私たちは列の最初の方だったので問題なく乗れましたが、全員は乗れませんでした。

でも次のバスがまた来るので、乗れなくても大丈夫です。

今度は1人220円(2人で440円)でした。

 

バスで東武日光駅に着いて、スーツケースをクロネコヤマトで受け取って、

それから東武鉄道日光駅から下今市駅まで各駅停車に乗り、

下今市駅で降りて、乗り換え、鬼怒川温泉まで新藤原行きの各駅停車の電車に乗りました。


東武日光駅から鬼怒川温泉駅まで2人で660円。

   

   

鬼怒川温泉駅には夕方5:21に到着。

 

なぜか例の”グーグルマップ青い矢印”がうまくいかず

(多分、夜で道が暗いので、周りの建物を認識しにくかったのかもしれません)

地元の人に聞きながらホテルへと向かいました。




鬼怒川温泉駅からホテル七重八重まで歩き、5時40分に到着。

最終チェックイン時間は6:00でした。

そして夕食の最終スタート時間が午後7:00なので、間に合ってよかったと
内心思いました。

もし間に合わなかったら、心配性のじじいを説得したばばあが怒られるからです。

7時を過ぎると、夕食はなしとなります。



ホテルが見えてきたら、驚いたことにホテルの従業員の男性が

走って迎えに来てくれたではありませんか!

へー、やっぱり高いホテルは違いますね。

こんな待遇、生まれて初めてかも……。


   

”静寂とまごころの宿 七重八重” です。

「夕食少なめプラン」にしました。

旅館の食事は多すぎて好きではありません。

できる限り、食べ物を捨てるという行為はしたくありません。

最上階の渓谷沿いの和室12畳です。

大人1人28500円で2人2泊で114400円です。

8日前までならキャンセル料無料でした。


食事を提供するホテルはキャンセル料をとらないと、

本当に損してしまいますからしっかりとればいいと思います。





お部屋は玄関つきの落ちついた和室でした。

冷蔵庫・トイレ・お風呂もありました。


     

  

4畳半の縁側つき12畳の和室はのんびりできました。

特に東京の狭ーいホテルからやってきたのでなおさらでした。


    



ティーバッグじゃない緑茶を急須で入れて一服しました。

温泉まんじゅうは鬼怒川温泉名物の「鬼怒の清流」でしたが、

もうすぐ夕食なので食べずに、スーツケースに入れてお持ち帰りしました。

2泊するので、ここで食べるか、スーツケースに入れとかないと

次の日にもらえませんから……
せこいばばあです。

  

お部屋の鍵もカードキーではなく、ガチャ鍵でした。

しかも
男女2人が男湯と女湯に同時に行けるように2つ鍵があって

しかもその2つが磁石でドッキングして1つになるんです。

素晴らしい!

   

お部屋にトイレがあるのですが、廊下にも公衆トイレがあって便利でした。

自宅にトイレが1つと2つでは雲泥の差であることと同じです。

 
 

6時に夕食の予約をしてあったので、食堂に行くと、

何と、格子戸で開け閉めする趣のある個室でした!

   

その献立は


@前菜ー秋色白和え・きのこわさび・イカの彩りごま塩だれ
Aお造りー日光岩魚の姿造り
B煮物ー蟹菊花蒸し蟹ゆばあん
C洋皿ーかんぴょうとサーモンの日光ゆば巻きサラダ
D鍋物ー日光高原牛のしゃぶしゃぶ
E揚げ物ーキス南京はさみ揚げ・れんこん玄米揚げ・しし唐揚げ
F蒸し物ーてまりゆば茶碗蒸し
Gご飯ー舞茸釜めし
Hお吸い物ー松茸・魚めん・柚子
I香の物ー三種盛り
J甘みー季節の果物・クリーム大福(栃木県産いちごソース入り) 



実は
普通の献立ではこれよりも3つ多いのですが、私たちはたくさん食べられないので

少ないおかずのコースを選んであったのですが、それでもこれだけ豪華でした。



  

栃木牛のしゃぶしゃぶが美味しい!

右は秋色白和え。

  

きのこわさびとイカの彩りごま塩だれ

  

生まれて初めて、岩魚(イワナ)のお造りを食べました。

よっぽど新鮮じゃないと川魚のお刺身というのはできません。


    

 きのこの釜めしは個室で炊くので、炊き立てでした。

煮物は蟹菊花蒸し蟹ゆばあん


  

天ぷらはキス南京はさみ揚げ・れんこん玄米揚げ・しし唐揚げ

かんぴょうとサーモンの日光ゆば巻きサラダ


      

舞茸釜めし、松茸と魚めんと柚子のお吸い物、三種盛りの香の物

品切れでしたが、鹿のお刺身もあるようでした……生って気持ち悪いです。


  

デザートは季節のシャインマスカットと栃木名産イチゴソースいりデザートでした。

びっくりしたんですが、ホテル七重八重のおかみさんが個室にいらっしゃって

ご丁寧に挨拶までして頂き、日光東照宮のお話なんかも聞かせてもらいました。

ありがとうございました!!!

 
     

食事から戻ったら、ちゃんと、きちんとお布団を敷いてありました。

昔ながらの日本の旅館スタイルです。

「余は満足じゃー」の殿さま座いすがあったので、

じじいがいない時にこっそりやってみました。


 
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