【Kインドで富士山】

     〜70歳からのインド旅 死ぬまでにインド!〜 
 


      


2024年3月4日(月)
私たちの宿泊しているコンノートロイヤルプレイスホテルの向かって

  右隣りのブルームブティックホテルは、キャンセルしましたが

  1月予定のインド旅で宿泊する予定だったホテルです。

詐欺メールがきたりして大変でしたが、

  その外見は派手な黄色で目立つので、とてもいいと思います。

オートリキシャのドライバーはスマホを持ってない人もいるので、

  こんな目立つ色のホテルなら非常に見つけやすいからです。

マージンがもらえるホテルに勝手に連れていかれたとか言う話が

  ネット上によく出ていますが、よほど有名なホテルでなければ、多くの

  ホテルの中のひとつに連れていくというのは非常にむずかしいので

  自分の知っているホテルに連れていくだけのことじゃないかなと思いました。

騙しているわけじゃなく、わからないんですよ、きっと。

スマホを持っているのなら、多分、問題なくたどり着けると思いますが、

  インドの場合、時々グーグルマップが正確ではないので注意。
 
        
 
今日は日本に帰る日ですが夕方の便で、午前と午後にかなり時間が

  あるのでデリーの仏教の寺を見に行くことにしました。
 
仏教のお寺の境内でお菓子をつまんでピクニックしようということになり、

  スイーツの店でお菓子を買いました。
     
うわさには聞いていましたが、とてもとても甘そ〜うなお菓子が並んでいます。

グラブジャムンというお菓子は濃縮ミルクを練りこんだ丸いドーナッツを

  激甘シロップに漬けたもので、インドの国民病が糖尿病なのは

  納得です。

インド人はグラブジャムン派とラスグラ派に分かれるそうで、

  世界一甘いデザートと言われています。

トラトラ(ちょっぴりだけ)なら試食してみたかったです。

それにくらべれば、日本の和菓子の絶妙な甘さはやっぱりいいです。

甘いものは大好きですが、トラトラ(少しだけ)甘いのがいい。
    
日本と同じで、贈答用のお菓子セットなんかも売っていました。

人の家を訪問する時の手土産ですかね。
 
 
 
 
ジャンボパックの美味しそうなクッキーとシンプルなポテトチップスを買いました。

日本のようにお上品にトラトラ(少量)パックはありません。
      
排気ガス0の電気バスが走っています。
   

 

ここはタイの仏教寺です。
 
 
         
 
         
 
入り口には金ぴかの布袋さんみたいな像があって、

  インドらしくメタボなお腹です。

なぜかチャップリンが……。
                
タイの仏教寺院のお坊さんです。

悟ったようなお顔の上品な方で、ヒンズー教寺院のように

  露骨にお布施を要求されず、品がいい。

お坊さんは落ち着いたえんじ色の僧衣を着ています。

インドに行った瀬戸内寂聴の本によると、インドでは黒い僧衣は

  いやがられるので、着て行かなかったそうです。

黄色い僧衣なら税関フリーパスらしい。

ここはタイのお寺なのに、みんな日本語を話せるのはなぜでしょうか?
         
中に入ると、金ぴかなところが日本の寺の仏像とは違いますが、

  いつも見ている落ち着いたお顔の仏陀の像がありました。

ヒンズー教のお寺の神様とは全く違いますね。

どっちがいいとか悪いとかではありません。

          
釈迦は今のネパールあたりで生まれ、北インドで仏教を広めました。

仏陀(釈迦)はカーストではクシャトリア出身だと言われています。

クシャトリアは政治や行政で中心的な位置にいますが、

  バラモンほどには尊敬されておらず、

  あくまでもバラモンに従わなければなりませんでした。
    
          

仏陀の一生を描いた絵がありました。

 
仏陀は「どのカーストの人もいらっしゃい。人は生まれによって

  バラモンになるのではなく、行いによってバラモンになる」と言いました。

仏教がインドで起こった理由はこれなんですね。

バラモン出身でない仏陀がカーストの縛りから人々を解放しました。

その点からいえば、日本の江戸時代も士農工商の身分制度があって

  本来は仏教は煙たがられる存在のはずなのにうまく立ち回ったようです。

インドではカースト制度で差別されてきた人々を中心に

  仏教に改宗する人が増えてきています。
        
 
彼の苦行はすさまじいものだったらしく、骨と皮になって

  体は苔のような垢に覆われていたそうです。

6年間苦行をしても悟りは開けないと思い、山を下り、たまたま

  村娘のスジャータが持っていた乳粥をもらい、体力をつけ、

  村の菩提樹の下で悟りを開きました。
 
 
         
仏陀がバラナシに行ったとは全然知りませんでした。

古来からの聖地でガンジス川が南から北へと流れる場所バラナシに

  向かって歩きました。

ブッダガヤからバラナシまで約300kmの長い道のりを10日かけて

  歩きました。

バスで行く人がほとんどですが、今でも歩いている仏教徒もいるそうです。

なぜそんな遠くのバラナシに行ったのでしょうか?

それはバラナシ郊外のサルナートという所に、苦行時代の5人の仲間が

  いて、釈尊が苦行では何も得られないと山を下りようと決めた時、

  その判断をとがめた5人の仲間に法を説こうと思ったそうです。

サルナートには今も鹿がいて、日本の奈良は

  このサルナートを真似て作られたそうです。
   

おだやかな顔の涅槃像です。

亡くなった時に沙羅双樹の花が咲いて遺体に降り注ぎ、

  鳥も虫も嘆いたというのは伝説で、何の奇跡も起こりませんでした。

人間として生き、苦悩し、病にかかり、老い、孤独に死んでいったからこそ、

  仏陀は親近感があります。
        
あのアンベードカルの大きな肖像画がタイ寺院にありました。

アンバードカル博士だけが本気で不可触民問題に取り組みました。

これまでまともにカースト制度と取り組んだ政治家や学者はいませんでした。

特に学者は上級カースト出身者で、不可触民に触れることもいやがります。
         

アンベードカルは独立運動時、イギリスからの独立よりも

人間同士の騙し合いや脅かし合いを排除したいと言っていました。

そして彼は独立してイギリス人がいなくなれば、インド人同士の争いが強くなることも予見していました。

本当にその通りになりましたね。

      
          
次に行ったのは日本の仏教寺院です。

途中、アチャーな(かわいい)アイスクリーム屋さんを見つけて一休み。

ビース(20)ルピーとティース(30)ルピーと

  チャリース(40)ルピーのアイスキャンデーを買いました。
 
 
 
         
 
日本の仏教寺院に着きましたが、日本の寺院とは全く違いました。
 
 
 
日本の寺じゃない……と思っていたら、向こうに富士山が!

ここでインドの富士山を見ながらピクニックすることにしました。

バナナとクッキーとポテトチップスを食べました。
 
               
 
                   
インドのナグプール(インドのど真ん中)に

  佐々井秀嶺(ささいしゅうれい)という日本のお坊さんがいます。

本を読みましたが、とても面白い人です。

ざっと要約してみます。

昔、10代の時に真言宗の大善寺に行ったら、井上和尚さんが「実くんは宗教を

  やりたいのか。やりたいのなら置いてあげるよ。」

  「なぜ和尚さんは会ってすぐに俺の心がわかるんですか?

  そうです。俺はお坊さんになりたかったけど、比叡山では学歴がないと

  断られました。」

  そして和尚さんは「坊さんというのは丹田を鍛えなくてはならない。

  俺の腹の上に立ってみろ。」と言った。比叡山の道案内していた坊主と

  違って心身ともに本物の僧だった。

次に高尾山で得度した。高尾山の山本管主は戦争が始まった頃、

  国に従った寺が多い中、戦争に真っ向から反対し、留置場に長い間

  入れられていた信念の人だった。

出家とは文字通り、家を捨てることだった。あのすごい大善寺の井上和尚

  でさえ守るべき家族がいれば、思い切った行動ができないこともある。

  俺は全ての母を自分の母として、全ての子どもを自分の子だと思って

  目の前の人を助けていく人生を送りたい。だから結婚できない。

インドでナグプールに行く時、八木上人がポケットからびしょ濡れの

  300ルピーをくれた。「佐々井、お前に言っておく。ナグプールに

  行っても誰もお前のことを知らない。しかし絶対に物乞いをしては

  ならない。死んでも物乞いをしなかったら日本人僧のお前の名は

  インド中に広まる。もしお前が飢え死んだらお前の骨は俺が拾って

  やる」と言い、仏像を託されたので風呂敷に包んで背中に背負った。

  列車の見送りの時に、ゆっくりと動き出すと、八木上人が顔をくしゃくしゃ

  にして「つらかったら帰ってこいよ。いつでも帰ってこいよ!!」と

  叫びながら列車を追いかけて走り出した。上人は「飢えて死ね」と

  俺のために阿修羅になったが、いざ別れる段になって菩薩になった。

  菩薩と阿修羅2つの心で俺のことを真剣に思ってくれていた。

  列車の中で子どものように、声をあげて泣きじゃくったのを

  インド人たちが見ていた。

八百屋の軒先にブッディストセンターオブインディアという看板があった。

  いかに仏教がインドで少数派かという事実に気づかされた。

  リキシャのおやじは200ルピーくれと言ったので渡したら、あとで

  4ルピーの距離だとわかった。インドに来て1年になるというのに……

  坊主が楽して乗り物に乗るのはよくないと思い、いつも歩いていたので

  物価がわからなかった。それからはインド人に騙され通しの人生よ。

三畳の小さな部屋の全インド仏教協会には2つの肖像画があり、

  1人は仏陀、もう1人はアンベードカル。アンベードカルは今から12年前に

  インドで仏教を復興した人。ガンジーは国内の身分制度は守ろうと

  していたから肖像画がない。ここにござをひいて寝ることになった。
 

      

佐々井秀嶺

1935年 岡山県生まれ。インド仏教指導者。

1960年 高尾山薬王院(真言宗)にて得度。

1967年 インドに渡る

1968年 カースト差別に苦しむ人々を救おうとインド仏教復興運動に身を投じる

1988年 インド国籍取得

 2003年 インド政府少数者委員会の仏教代表に就任

2009年 44年ぶりに一時帰国して、話題となる

2024年現在 89歳

日本の坊さんは坊さんの人柄に関係なく、墓の供養料や檀家の葬式などの

  収入があるが、インドの坊さんは人気がなければ失業する。

  佐々井が貧しい人々からはお布施を受け取らず、もらっても、もっと

  困っている人に分け与えてしまうので、他の坊主は佐々井がいやで

  悪口を言った。ヒンズー教・イスラム教・他の宗教団体も増え続ける

  仏教徒に恐れを抱き、秘密警察に通報。

1998年5月の満月の日、新聞一面には世界平和を願って座り込みをする

  佐々井ら仏教徒の写真とインドが核実験をしたというニュースが掲載された。

  佐々井はカーッとして頭に血がのぼり、

  「こら〜バカ首相、出てこ〜い」と叫んだら、

  高層ビル街はシーンと静まり返った。

  「俺は世界で唯一、被爆体験をした日本から来たシューレイ・ササイである。

  お前はよりにもよって平和の使者の仏陀が生まれた満月の日に

  戦争の勃発をするのか。人殺しの道具で何万人もの罪なき人を殺す

  のであれば、俺一人を撃て、撃つなら撃ってみろ。」

  すると、機動隊のバリケードがパカッと開いて、官邸の職員が来て

  首相と話をさせると言ったが不在。核反対の嘆願書を首相に渡せと言った。

  核実験を行った時、インド国民は「やった〜。インドはすごい。

  隣のパキスタン見たか!」とはしゃいでいた。しかし我々の行動によって

  「ああ、核は人殺しの道具なのか」と気がついた人もいたはず。

  宗教を問わず、核や戦争についてインドの人々が考えてくれる機会

  になってくれたらいい。

佐々井が目指しているのは、形骸化した日本の仏教ではなく、生活に

  溶け込んだ実践的な仏教。

仏教徒に村全体で改宗した村

  子どもを学校に通わせる、酒に溺れずまじめに働くようになる、

  上位カーストのいやがらせにも団結して闘う……を見て、

  宗教の教えひとつで、こんなにも人間らしい生活ができるのかと心を

  動かされた。

不可触民について

  学校にも通えず、家畜の解体処理やゴミ拾い、皮なめしなどの

  汚い仕事しか与えられない。生まれた時から高いカーストの者たちから

  「人間ではない」と教えられ、触ると穢れると忌み嫌われ、ひどい差別を

  受けてきた。上位カーストが今も自由に仕事を選べないように

  押さえ続けている。

  井戸の水も飲ませてもらえず、泥水をすすり、残飯をかき集めて食べるので

  体も弱く病気になりやすい。もし上位カーストに反抗しようものなら、

  住んでいる所を焼き討ちにされたり、殺されることもある。

  不可触民は法律上は存在していない。

    憲法17条 カースト間で差別をしてはならない(刑事罰もある)

  しかし今でも田舎では黄色い濁った水を飲まされている不可触民が

  存在する。村で仏教への改宗をしようとした不可触民は村八分にされる。

  仏教の坊主を村に入れるのなら、店の商品は一切売らないと言われる。

  隣の村にまで連絡されて、米も買えない。


  仏教に改宗した多くの人は、カーストのない仏教に望みを託した

  不可触民の人々だが、改宗したところで差別がなくなるわけではない。

インドの仏教徒も改宗しても、血統の問題は別だと思っている人がたくさんいる。

  佐々井は「同じ仏教徒なら、カーストが違っても協力しなさい。

  仏教はそういう隔てをなくすためにできたもので、お互いに支え合って

  生きていくのが仏教。」と近所のおばあちゃんたちに話して回った。

「私は仏教徒同士のカーストを意識的に忘れるようにしている。

  私自身がその関係性の中に入り込んで気を使ったりしていては

  これまでと同じことになってしまうから。知らないふりをして馬鹿のように

  振舞うこともひとつの方法だ。」
佐々井秀麗に会いにいったライターの本にはこんなことが書かれていました。

私の日本の坊さんのイメージ

  静かで、おだやかで、妻子がいて、檀家さんに囲まれ、お酒もたしなみ、

  檀家さん意外とは接することは少なく、政府に抗議することもなく、

  町では普段着を着ているので坊主とわからない。

  多くの日本人は葬式仏教徒で、敬虔な信者はほとんどいないし、

  多くは生まれてすぐに神社へお宮参りをし、結婚式を神社か教会であげ、

  お盆にはお墓に線香をあげ、クリスマスを祝い、正月には神社に参拝し、

  エクササイズとしてヨガを習い、死んだら仏式で葬式をする。


佐々井秀嶺

  気が短く、喜怒哀楽が激しく、本当の出家は妻子がいてはだめだと

  好きな人と別れ、檀家も持たず、人々のよろず相談を受け、

  テロリストに狙われ、インドの首相に盾ついても戦い続けている。


  
周りの坊主は居眠りしたり、スマホを触っているのに、佐々井だけは

  不動明王のごとく、カッと目を開き、村人を凝視している。

  3時間後、坊主全員の説法が終わった後、会場の人々が皆わっと

  立ち上がり、舞台上のお目当ての坊主にお布施を施すのだが、

 
全員が佐々井に向かって突進。まるでアイドルのサイン会のよう。

  なぜなのか、佐々井に訊いてみると「村人は分かっている。
他の坊主は

  口先では良いことを言っているが、行動が伴っていない。」

  自分のお布施を本当は独り占めできるのに、1枚残らず取り出して

  「お前たちで分けろ」とお札を他の坊主に渡す。こうした気前の良さが

  親分として慕われるゆえんだろう。他の坊主たちが100ルピーずつを取ると

  佐々井は「もっと取れい。俺は金が嫌いなんだ。」坊主たちはどっと笑う。


  出かける時の支度はわずか3分。寝ている時も僧衣のままだし、

  トイレに行って、入れ歯をスポッとはめ、たすき掛けのポシェットを

  かけて終わり。

ショーチャーレイ(トイレ)の前で娘や夫が帰ってくるのを待つために

  腰掛けようとしたら、頭に鉄の柵が刺さって痛かったんですが、

  インド人女性がいたので、そのことを英語で話したら、

  その人も頭に刺さって痛かったそうで、一緒に笑いました。
 
        
まだ空港に行くまでに時間があったので、

  最後にフマユーン廟に行きました。

観光客はいっぱいいましたが、本当につまらない所でした。

タージマハールに約50年前に行ったことがある夫と

  去年行ったことがある娘が言うには、

  「タージマハールはこのフマユーン廟とよく似たつまらない所だから

  行かなくてよかったね。」

私はタージマハールに行ったことがないので、本当は行きたかったんですが

  フマユーン廟を白くしたみたいな所だと思ったら、行かなくてよかったと

  思いました。
 
 
 
       
 
フマユーン廟はムガル帝国最後の皇帝がイギリスに対して反乱を

  起こしましたが、このフマユーン廟でイギリス軍に捕まえられました。
 
       
 
       
 
フマユーン廟はタージマハールのモデルでした。

そういえば色は違うけど、似ていますよね。
 
 

タージマハール

 
       
 
 

本物の棺は地下にあり、これはレプリカ(にせもの)です。

 
 
 
 
 
空港までの帰りの車に物乞いの親子が来たので、ちょうどピクニックのお菓子が

  いっぱい残っていたので、みんなあげたら、とても喜ばれました。

もらってくれてありがとう。

トラトラ(少しの)パックじゃなく、たくさん残っていたので

  どうしたらいいか困っていました。
 
       
 
ほぼ時間通り、インディラガンジー空港から羽田に向かって

  飛行機は飛び立ちました。

夜7時頃、出発して翌日の朝7時に羽田空港に着きました。

日本に着いて一番うれしかったことは、ペットボトルを買わなくても、

  空港内の冷水器の安全で無料のお水が飲めるということでした。
 
 
よく「インドを旅行した人はインドが大好きになるか、大嫌いになるかのどっちか。」

  と言われていますが、これは大げさだと思います。

私はインドの日常の面白さが好きになりました。

例えば、インドの自由な寝そべり犬を見てきてからは、日本に帰ってから

  テレビでペットフードのCMや服を着させられた犬なんかを見ると

  いや〜な気持ちになります。

インドに行く前はガイドブックやネット情報を真に受けて

  騙されるんじゃないかとか、お腹が痛くなるんじゃないかとか

  いろいろ心配しましたが、そんなにむずかしい国じゃないということが

  よくわかりました。

夫はもうインドには行きたくないと言いますが、

  私は死ぬまでにもう1度インドに行きたいと思います。
 
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