【J首をちょん切る女神たち!】

〜70歳からのインド旅 死ぬまでにインド!〜
 
 




2024年3月3日(日)
今日はデリーでお願いしているレンタカードライバーに

  普段よくお参りに行くヒンズー教寺院の

  ハヌマーン寺(ハヌマーン・マンディール・カロル・バック)に

  連れていってもらいました。

ハヌマーンは猿の神様で、日本の桃太郎の話とよく似ています。

  鬼が島はランカー島(今のスリランカ)、桃太郎はラーマ王子、

  猿はハヌマーン、キジは鷹、犬は熊。
 
 
 
 
 
こんなインパクトのある入口でした。

「あ〜ん」と口を開けています。

入る前に靴を預けて裸足になります。
 
               
 
まさに体内に入っていくという感じでした。

右の写真は両側の歯にはさまれた舌ですが、ちゃんと滑りにくくしてある

  ところが凝っています。
 
         
どこかで見たことあるなと思ったら、金沢のデパートの催しで

  ”トリックアート”というのがあって、見たことを思い出しました。
 
 

亡くなった母と一緒に行きました。

インドのと違って、中には入れませんでしたが。

 
ドライバーにヒンズー寺院でのお作法を教えてもらいました。

お猿の神様のハヌマーンが”ハ〜イ”と言っているように見えます。

ハムマーンは猿の神様でインドでは人気があります。

ガネーシャは象の神様、ドゥルガーは虎の女神様です。

実はバラナシでモンキーテンプルに行ってみたかったんですが、

  怖くなってやめました。

猿が人間を見下していて、猿と目が合うと日本のやくざのように

  因縁をつけられるらしいんです。

首に巻きつかれた人もいます。

いきなりアクセサリーやスマホををひったくられたりするそうです。

        

                               「は〜い」

 
”体内”で夫と娘の姿が見えなくなったので、いったん外に出てみたら、

  あれれ〜?ライオンの口でした。
                         
外で夫と娘を探していたら、寺の人が来てどうしたのか聞かれたので、

  家族を探していると言ったら、中に連れていかれました。

その人に「マネーマネー」とお布施を出すように言われたので

  さっき出したのに〜と思いましたが、もう1回10ルピー入れました。
    
 
突然、怪しいゾーンが……
 
 
 
      
またここでさっきの人(多分坊主)に「マネーマネー」と言われたので

  「ジーナヒーン(いやです)さっきお布施したでしょう?」と断りました。

至る所でお布施を要求してくる生臭坊主め!

でもそのあからさまな態度は嫌いではありません。とても面白い!
                

青い神様はクリシュナかな?

     
これは殺戮の女神らしい。

人の首ばかりじゃなく、自分の首までちょん切っている!
 
   

 血が噴き出している様子がリアルです。

 


うれしそうな顔してね〜。

インドで生まれた仏教がインドではなぜ廃れていったのか?

ヒンドゥーの神々は人間的で生き生きしているからかもしれません。

仏教は理屈っぽいですからね。
 
次にお昼を食堂で食べてから、ガンジー記念博物館に行きました。

途中、オートリキシャの客にお金をもらう乞食の女性を見ました。
ガンジー記念博物館にやってきました。
 
 
        

このガンジー、気色悪い……

 
インドではインドで採れる綿を使って木綿の服を手作りしていましたが、

  200年くらい前、産業革命によってイギリスで木綿を作る機械が発明され、

  手作りするより、ずっと安く大量に作れるようになりました。

その結果、インドの綿畑でインド人を働かせ、イギリスの工場で木綿糸にして、

  さらに布に織って、さらにミシンで服を作り、インドで売って、その儲けは

  みんなイギリス人がとってしまうという構図でした。

インドで手作りした服よりもイギリスで機械で作った服の方が安かったので、

  イギリスだけがもうかっていました。

植民地が世界中にたくさんあった時代、今と違い、イギリスでは

  悪いことだとは考えられていませんでした。

これは不公平なことなので、独立運動が起こり、その指導者がガンディーです。

インドが独立しようとしていた時の国旗は

  手紡ぎ車(綿の実を紡いで木綿糸にする道具)でした。

ガンジーが「インド人の着る服くらい、インド人が作ろう」と言ったからです。
 
 
イギリスから独立した翌年の1948年1月30日、ガンジーは

  ヒンズー至上主義者の男に射殺されました。
             
 
        
マハトマ・ガンジー  1869年〜1948年

  豊かなヒンズー教徒の家に生まれたガンジーは、イギリスに留学し、

  弁護士になった。その後渡った南アフリカで差別された。

  ガンジーは人間同士で差別はあってはならないと考えたが、暴力では

  真の解決はできないとの考えから、「アヒンサー(非暴力)・不服従運動」を

  推し進めた。非暴力とは悪い言葉と行動で傷つけないこと、暴力は憎しみを

  生むだけだとして、非暴力でイギリスに対抗した。

  インド独立の父と呼ばれている。ガンジーの非暴力運動はその死後も、

  世界中に大きな影響を与えた。国連はガンジーの誕生日の10月2日を

  「国際非暴力の日」と定めている。インドのお金100ルピー札は国民から

  親愛をこめて「バブー(父親)」と呼ばれ、また尊敬をこめて

  マハトマ―(偉大なる魂)とも呼ばれている。
         

「見ざる、聞かざる、言わざる」のお人形がありました。

悪いものを見ない、悪いことを聞かない、悪いことを言わないと

ガンジーはいつも言っていたそうです。

 
ガンジーの一生を表した展示物がありましたが、分かりやすかったです。
 
               

ガンジーはフランスの小説家ロマンロラン(戦争反対を叫び続けた)と

戦争の悪影響と非暴力の有効性について話し合いました。

ガンジーのリクエストでベートーベン

(ロランのジャンクリストフはベートーベンをモデルにした小説)

の交響曲第五番が演奏されました。

とグーグルカメラ翻訳で見ました。

      
       
              
 
ガンジーの部屋が再現されていました。

 

  
ガンジーの個人資産はトラトラ(少しだけ)でした。

  ガンジーは金融資産も不動産も、全く持っていませんでした。

  個人的な所有物は以下のものだけでした。

  @インド綿布の衣

  Aサンダル

  B眼鏡(老眼鏡)

  C入れ歯ーこれも持ち物に入るんですね〜(笑)

  D竹の杖

  E糸車(持ち運び式)

      ガンジーは自ら糸車を廻し、糸を紡ぐのを日課にしていました。

      これはインド綿花を輸入加工してインドに再輸出するイギリスの

      植民地政策に対する抵抗の意思表示でした。

  F懐中時計(人と会う約束の時間に遅れないため)

  G携帯用便器

     インド国民の平均寿命が短いのは、野糞が当たり前の衛生観念の

     欠如のためであると信じ、ガンジーがいかに衛生を重視しているかを

     示す意味がありました。

  H雌ヤギが一匹(食事のための乳を搾るため)

  Iちびた鉛筆(必ずちびて持てなくなるまで使った)

      物を無駄にすることは、それを作った人の労働をないがしろにすること

      という思想からでした。

  J古い封筒を切り開いた紙(練習用紙にする)

ガンジーを象徴していると言われているラクダの皮のサンダルを

  探しましたがありませんでした。

  受付できくと、デリーのもう一つのガンジー記念館にあるとのことでした。

  残念。
 
      
インドのお金の表にはガンジー、

  そして裏には、ガンジーの眼鏡(老眼鏡)が書かれています。

グーグルカメラで何と書かれているのか見てみたら、

  「清潔への1歩」インド銀行 と書かれていました。

本当は”携帯用便器”なんでしょうけど、便器をお札に印刷するわけにも

  いかないので、眼鏡の所に書かれています。
 
   
 
 
       
 
       
 
          
 
       
 
ガンジーが暗殺された時の、ガンジーが歩いた足跡があります。

ガンジーを殺したのは、RSS(民族義勇団)で、

  モディ―首相はRSSのメンバーです。

RSSはヒンドゥー至上主義の極右ファシスト団体で、アドルフヒトラーを賞賛し、

  マハトマガンディーを売国奴、マザーテレサが行っていたことは植民地支配を

  目的としているとしました。

 
 
世界的に人気のあるガンジーですが、「カーストはそのままにして

  差別だけをなくせばいい」と思っていたようです。

そんな不徹底なガンジーに批判的だったのがアンベードカルです。

アンベードカルはカースト制度の最下層ダリットの家庭に生まれました。

公共の貯水池や井戸の利用についての不可触民の権利を求めました。

不可触民は大切な水の利用も認められず、泥水を飲むしかなかったのです。

ヒンズー教の聖典の「マヌ法典」が不可触民への過酷な扱いへの

  大きな根拠になっていると考えたアンベードカルは、運動の際に、

  その場で「マヌ法典」を焼き捨てました。

インドで長く続く身分差別の因習を打破するための活動に尽力した他、

  死の2か月前に60万人の人々と共に仏教に集団改宗して、

  仏教復興運動を始めました。

バーバ(父)・サーヒブ(敬称)・アンベードカルと呼ばれています。
 
 
ダリット(不可触選民)の人がどの人なのかは、外国人の私には

  全くわかりませんでしたが、今でも酷い目にあっているそうです。

カーストによる差別はインド憲法で禁止されているにもかかわらずです。

建前と本音が違います。

ダリットなら車でひいても平気で放っておくとか、病院の看護師の

  カーストカードを調べて、ダリットを強姦するとか……

特に田舎や年寄りはダリットに偏見を強く持っているらしいです。

裸足はダリットのシンボルって言いますが、靴を履いているダリットの人も

  いるでしょう?
 
 
来たかった階段井戸 アグラーセンキバオリにやってきました。

中心部にあるので気楽に来れます。

108段の階段を持つ大規模な階段井戸です。

外国人観光客は私たち以外には多分いなかったように思います。

インド映画「All is well きっとうまくいく」の主演俳優のアミール・カーンが

  主演した「PK」でこの階段井戸が使われたのでインド人には大人気の

  場所だそうです。

(それにしてもアマゾンプライムで見た All is well は面白かった。)

娘は以前来たことがあって2回目です。
 
 
         

開館時間は”日の出から日没まで”というのがいいですね。

 
インド西部やパキスタンなどの乾燥した地域には

  階段井戸と呼ばれる古い井戸があります。

階段井戸は生活用水としての機能ばかりでなく、乾季に備えて、

  雨季(モンスーン)の雨水を貯めておく目的もあります。

深く掘られた井戸は地上に比べると涼しいので、地元の女性たちの

  井戸端会議の場として、また旅人の休息所としても利用されました。

一般的な井戸では、縄と桶で、またはポンプで水を引き上げますが、

  階段井戸は地面を掘って、階段で水面に行けるようになっています。

イギリスが植民地化する前は、インドでは階段井戸の水は貴重な水資源でしたが

  井戸水は清潔でないという理由で利用が廃止され、ポンプや上下水道の

  設備が整えられ、階段井戸は過去の遺物となっていきました。

 

 実際に見てみると、その美しさに驚きました。アチャー(美しい)!

 
 

インド人の若者はいろいろなポーズをつけて写真に撮られるのが大好きみたいです。

 
           

日本人も負けずにヨガのポーズをしています。

 
今は乾季ですから水はほとんどありませんが、これが雨季になると

  どうなるのか、もう1回来て確かめたいな。

プラス暑い季節に来て、階段を降りると冷や〜っとするのも感じたい。
 
 
 
          
 
     

昔懐かしい”シェー”

中学1年の時に流行っていて、担任の先生もシェーしていました。


ヨガのポーズに、シェーがあるとは知りませんでした。

 
階段井戸の外に出たら、面白い壁画があったので写真を撮りました。
       
 
インドに来て初めて、コンビニを見ました。

セブンイレブンでしょうか?
 
         
 
     
 
屋台でアイスキャンディーを買って食べようとしたら、

  突然、木からお猿がシュシュシュ〜と降りてきたので、

  あわてて、猿が来れないような所に避難しました。

もうちょっとで奪われるところだった〜。

あぶないあぶない。

奪われて木の上に逃げられたら、追いかけられませんからね。

まあ、木登りが上手だとして、追いかけて奪い返したとしても、

  お猿がなめたアイスを食べたくはないですが。  
 
          

ミルクミルクしてアチャー(美味しかった〜)。

 
 
 
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