【Gインドで火葬されたくなった】 〜70歳からのインド旅 死ぬまでにインド!〜 |
2024年2月29日(木) | |
これはホテルのトイレットペーパーなんですが、 使っている途中の物ではありません。 最初から巻きが細い新しいトイレットペーパーです。 これ、ちょっとしたカルチャーショックでした。 多分、インドでは紙を使う人が少ないので、 少しだけ紙を用意してあるのかもしれません。 |
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さあ、今日は楽しみにしていたガンジス川の朝焼けを見に行きます。 今度は夫がダウンしてしまい、今日は娘と2人で観光です。 私、娘、そして夫と順番にダウンしています。 昼間はオートリキシャやサイクルリキシャ、車、バイクがひっきりなしに 往来して、日本のように歩道があるわけではないので、危なくて 仕方なくリキシャに乗って目的地まで行かなければなりませんが、 早朝なので自分で歩いていけるのがうれしかったです。 歩道があれば、こんな近い所には歩いて行きたいのですが、 危な過ぎるので、仕方なくオートリキシャに乗るということです。 ホテルのスタッフにも「朝焼けを見にハリチャンドラガートまで 歩いていっても大丈夫かな?」と聞いたら、 「ノープロブレム」と言われたし。 |
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歩いてないと気づかなかった井戸も見ました。 | |
ホテルから一番近いハリシュチャンドラガートには歩いてすぐに着きました。 ドルフィンホテルを選んだ理由は、シャムシャン(火葬場)のある ハリチャンドラガートが近いからです。 たくさんのガートの中で火葬場のあるガートはマニカルニカーガートと ハリシュチャンドラガートの2カ所ですが、 マニカルニカーは人でいっぱいだと聞いていたので 人の少ないハリシュチャンドラがいいと思いました。 |
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夜明け前のガンジス川に5時半に着きました。 今は2月の終わりなので、そんなに亡くなる人も多くないらしいです。 インドでは4月と5月が一番暑い季節なので、 暑さで死ぬ人がとても多く、死の季節と言われています。 日本のような先進国では、食べ物と医療とクーラーによって 暑さ寒さは死の原因ではなくなっていますが、ここインドでは 自然な死に方が多いということです(どっちがいいのか……)。 |
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こんな夜明け前から火葬されています。 人はいつでも時間に関係なく死ぬんだから当たり前か。 私も日本の管理されてガシャーンと扉の閉まるシャムシャン(火葬場)よりも 夜明け前に真っ赤な炎で燃やされたいと思いました。 |
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子ども達が全員でなにかを唱えていました。 ヒンドゥー教の学校かな? |
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誰が住んでいるのかわかりませんが、テントにも明かりが灯りました。 |
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プールみたいな白ける沐浴場にも、人が集まってきています。 | |
ボートに乗りませんか?と言われたので、値段交渉してから乗りました。 しっかり救命胴衣も着て。 |
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船頭さんに名前をききました。 「アプカ ナーム キャ ヘ?(あなたの名前は?)」 「メラ ナーム アミット(私の名前はアミットです)」 |
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さっき買ったお花のろうそくに火をつけて、ガンジス川に流しました。 |
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船頭のアミットさんが「あ〜あ〜」と大きな声で空に向かって叫ぶと、 鳥たちがやってきました。 |
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ミスターアミットなのに、ミスターアルティーと間違えています。 ごめんなさい。アミットさん。覚えが悪い年寄りです。 |
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ボートから街を見ると、とてもアチャー(美しく)、 街とガートが一帯になっているのが素敵です。 |
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インドには、自分を生んだ母の他に、 3人の母(マータ)がいると言われています。 @牛 農作業を手伝い、牛乳を与えてくれる、ゴーマータという母 Aガンジス川 水を与えてくれる、ガンガーマータという母 B大地 作物を生み出す、ブーマータという母 人間が生きていくためには、実の母以外の3人の母は欠かすことができない。 |
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他の宗教のようにヒンズー教が世界中に広まらなかった理由は、 ヒンズー教は言葉や書物によって持ち運びができない 重い宗教だからだそうです。 ヒマラヤ山脈やガンジス川は持ち運べないのです。 ころがっている石を持ってみる・月を消え入るまで見る・ 川に入って体をひたす・花のにおいをかぐ……全てヒンズー教。 現代の人間には失われつつあるヒンズー教の こんなところに惹かれます。 |
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ヒンズー教徒にとっての最大の聖地がバラナシです。 水の女神ガンガーが一度に水を流すと大洪水をおこすので、 ヒマラヤのシヴァ神がガンガーの流す雨を自分の髪で受け、 滴をたらすように下界に流した、 その水がガンジス川になったと言われています。 |
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川の向こう側(西岸)は神聖視されますが、対岸がいとまれているのは 体の右半分が神聖で、左半分は穢れているというヒンズー思想から。 対岸にはラクダが二頭歩いていました。 |
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バラナシが一番美しい、朝日が昇る瞬間。 ヒンドゥー教徒じゃない私も、あらゆる罪が洗い流されるような気がしてきました。 |
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バラナシのガンジス川が特別神聖とされているのは インドでここだけが不思議なことに、南から北に流れている場所だからです。 |
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ガンジス川の真ん中で1人で沐浴している男性がいました。 やっぱりプールで沐浴するのとは違って、いい感じです。 |
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町の中でよく見た交通安全のお守りがこの船にもありました。 車やリキシャだけじゃなくて、船にもつけるんですね。 |
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小さなレモンと唐辛子で作られた交通安全お守り |
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もうすぐ乗船したハリシュチャンドラガートに着きます。 するとボートの船頭のアミットさんが 「もしチップをくれるんなら船が着いてオーナーにお金を払う前に チップがほしいんだけど。」と言いました。 娘と私はそれを聞いて「あっはっは」と大笑いしました。 がんばってくれたので、ソー(100)ルピーをチップとしてあげました。 おちゃめなアミットさんです。 |
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ハリシュチャンドラガートに着いたら、夜明け前とは打って変わって 人がいっぱいでした。 夜明け前にボートに乗ってよかったと思いました。 |
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ボートに乗っている間に、きれいに洗濯物が干されていました。 朝焼けの光の中でのアチャーな(美しい)風景です。 |
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強烈な太陽なので、地面にじかに濡れた洗濯物を並べておけば 短時間で乾くんですね。 風に飛ばされないように、石で重石をして、乾くまでの間おしゃべりします。 でも人が歩く所に干すわけですから、せっかく洗濯しても、また 汚くなるような気がしますけどね……。 でもその風景は美しい。 |
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お猿がいます。 | |
この箱はもしかして、もしかして……棺桶? はい、空っぽの棺桶でした。 遺体を焼いていました。 |
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焼く前に1度ガンジス川の水(聖水)に遺体を浸してから 焼かないと布だけが燃えてしまうらしいです。 知りませんでした。 |
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この積み上げられた薪は火葬用です。 お金がない人は薪を十分買えないので、最後まできれいに焼けず、 半焼けのまま川に投げ込まれます。 また赤ん坊や子どもは焼かれずにそのまま流されます。 天寿を全うできなかった遺体ということです。 蛇に噛まれて亡くなった場合も事故なので焼かれません。 コロナの時、ガンジス川に流れ着いた死体の多くは、検査を受けずに 自宅で亡くなった貧しい人々の遺体だったそうです。 |
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こんな所にも……自由に生きる鶏とやぎ。 | |
帰り道、温かいチャイをチャイ屋さんで飲みました。 「ガラムチャイ ドゥイ ディージェ(温かいチャイを2杯下さい)」 |
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チャイ屋のチャイワーラー(店主)がチャイを作っています。 | |
素焼きのカップ(15ルピー)と紙のカップ(10ルピー)があって、 素焼きの方が高いんですがやっぱり断然、素焼きのカップにしました。 素焼きカップはとても素敵なので、 新聞紙に包んで日本に大事に持ち帰ってきました。 |
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日本に帰ってきて、さっそく庭の葉っぱを入れて洗面所に置きましたが、 水を入れて3日くらいで、水を替えようと思って軽く持っただけで ボリンと割れてしまいました。 やっぱり、素焼きのチャイカップというのは使い捨てなんだと納得しました。 |
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チャイを作る道具類がとってもアチャー(かっこよくて素敵)です。 チャイの作り方は昔、パキスタンに住んでいた人に教えてもらいました。 @やかんに少量の水を入れて、沸騰したら紅茶を入れて十分煮出す A濃い色になったら、牛乳を多めに入れて、さらに煮出す B最後に多めの砂糖を入れて、マサラ(香辛料)を加える それまでは紅茶を煮だしたりしたことはなかったので驚きました。 インドではなぜこんな作り方になったのでしょうか? それはイギリスの植民地時代に、インドの質のいい紅茶は全部 イギリスに送られて、インドの庶民には商品にならないような 細かいほこりのような紅茶の葉っぱだけが残され、それをおいしく 飲むために考え出されたんだそうです。 イギリスは悪いことをしましたが、その結果イギリスの飲み方よりも ずっとスワーディシュトゥな(美味しい)チャイが できたというわけなんですね。 |
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鶏も”にわとり”じゃなく、そこら辺の道端を歩き回ったり 車の下に入ったり……自由に生きています。 |
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ホテルに帰ってアチャーな(美味しい)朝食を食べました。 | |
バーラトマータ寺院(地図寺)の大理石で作ったインド地図を見たかったので 朝食後、私1人でバラナシの町を観光することになりました。 バーラトはインドという意味で、マータは母の意味です。 いつもは娘がオートリキシャのドライバーに値段交渉していますが、 今日は自分でやりました。 100ルピーと約束していて、降りる時に余計に請求してこなかったので ダンニャワード(ありがとう)とバチャース(50)ルピーを チップとしてあげました。 |
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地図寺です。 ご本尊が地図とは変わっています(笑)。 金沢にも生姜などのスパイスがご本尊の はじかみ神社というのがありますから、インド人が日本に来たら 参拝したらいいんじゃないでしょうか。 |
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英語でも書いてありましたが、 グーグルカメラでヒンディー語を読んでみると(グーグルカメラ大活躍!)、 「ここで靴を脱いで下さい」と書いてありました。 |
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ところがインド地図にはどんなことをしても見えませんでした。 大理石で作ってある地図といいますが、大理石って白かグレーだと 思っていましたが、ここの大理石は汚い色でした。 アートゥソー(ヒンディー語で800の意味)の大理石を使ってあるそうです。 |
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日本語を話すパーラットさんという人がいて、いろいろ説明してくれました。 インド地図を見る方向が違っていたようで、ちゃんとインドの地図でした。 スリランカもわかりました。 どこで日本語を勉強したのか日本語で聞いてみたら、 仏教寺で教えてもらったとのことでした。 それって日本のキリスト教会でアメリカ人が英語を無料で 教えてくれるのと同じです。 |
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インド地図 右下にスリランカ(昔はランカ島と呼ばれていた) |
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帰り道、こんな所でお家のようにくつろいでいる若者がいました。 くつろぎポーズがなかなかアチャー(クール)! 卵のパックはプラスチックではありません。 |
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ここでまたオートリキシャをひろって、乗りました。 今度はラッシーがスワーディシュトゥ(美味しい) と評判のお店”ババラッシー”へ。 |
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オートリキシャは大きな道までしか入れないので、あと細い路地は 歩いて行きました。 さっきのオートリキシャのお兄さんが、私が曲がる道を間違えないかと 曲がるまでついてきてくれて、とっても親切でした〜。 外国人の年寄りは親切にしてもらえるなあ。 ダンニャワード(ありがとう)。 バラナシ通でさえ、道がわからなくなるというバラナシの迷路。 曲がり角に来たら、お店の人に 「ババラッシー カハーンヘ?(ババラッシーはどこでしょうか)」と 何回もきいてやっとババラッシーに着きました。 右と左に別れている曲がり角で絶対必要なヒンディー語、 「〜カハーンヘ?(〜はどこですか)」です。 |
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ところが、困ったことにババラッシーを見つけるのにあまりにも 時間がかかったために、私はトイレに行きたくなってしまったんです。 それでババラッシーの人に、 「ショーチャーレイ カハーンヘ?(トイレはどこですか)」ときいてみたら トイレがないお店だったんですよ!!! 困りました。 トイレのないお店でラッシーを飲むわけにはいきません。 |
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困った私はババラッシーを出て、他のトイレのあるお店を探すことにしました。 すると、すぐ近くに大きなトイレのありそうなお店があって 聞いてみたら、やっぱりトイレがありました。 ここでチョコレートシェイク(160ルピー)を頼んで、 トイレを使わしてもらいました。 あ〜よかった。 |
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”ババラッシーをさがして三千里”でやっとの思いでたどり着いたのに ババラッシーで美味しいラッシーを飲むことができなかったのでした。 くやしい…… 帰りはブラブラその辺を散歩しました。 |
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お猿の神様が好きですね〜インドの人は。 |
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疲れてホテルに帰りたくなった頃、オートリキシャドライバーが 声をかけてきましたが、日本語がとても上手な人でした。 「アプカ ナーム キャ ヘ?(名前は?)」ときくと、マノウチェさんでした。 マノウチェさんはこう言いました。 「私のオートリキシャならホテルまでドゥーソー(200)ルピー、 そしてこの友達のサイクルリキシャなら ソー(100)ルピーだけど、どうする?」 |
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左がオートリキシャドライバーのマノウチェさん 右がサイクルリキシャドライバーのスレンナルさん スレンナルさんが首にぶら下げているオレンジのストールは お洒落のためではなく、汗をふくためです。 |
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まだサイクルリキシャに乗ったことがなかったので、 スレンナルさんに決めました。 |
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サイクルリキシャは人力車なので、せいぜい大人2人が限度だと思いましたが、 大人4人で乗っている人もいました。いくら何でもかわいそうでしょう。 短い移動や細い道での移動に役立つ乗り物で、情緒もあります。 オートリキシャの半分値くらいが目安らしいです。 |
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ところがものすごい渋滞で、自転車に乗れず、歩いて引っ張ることに。 オートリキシャと違い、すごい肉体労働です。 でも排気ガスは出さないし、悪いことは何もしていません。 |
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「バイヤー アプカ ガラム ヘ?(お兄さん、暑いでしょ?」 |
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実はバラナシにはドルフィンホテルが2つあって、みんな間違えるらしく しっかりもう1つの方のドルフィンホテルに連れていかれました。 もう1つの方のドルフィンホテルのスタッフに私が泊まっている ドルフィンホテルの場所をきいているスレンナルさんです。 渋滞だったし、暑い中をほとんど歩いてくれたので、 ソー(100)ルピー+バチャース(50)ルピーのチップを あげようと思っていたら、 しっかり「ドゥーソー(200)ルピーほしいな」と言ってきました。 インド人の特性として、”とりあえず、ダメ元で言ってみる”精神です(笑)。 私は「ティーケ ティーケ(オーケー)」と言い、200ルピー上げました。 渋滞の中をしっかり頑張ってくれたんだから、 オートリキシャと同じ金額の200ルピーを あげてもいいんじゃないかと思いました。 相場ではなく、自分が決めればいいと考えます。 |
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近所のケーキ屋さんは昔、子どもの頃のコテコテの バターケーキを思い出させてくれました。 冷蔵庫がなかったから、生クリームケーキは保存できませんでした。 でもさすがに色見本のようなケーキは買いませんでした。 |
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夕方、朝と同じくホテルから近いシャムシャン(火葬場)のあるガートの ハリシュチャンドラガートに娘と2人でブラブラ歩いて行きました。 お猿の神様の像を売っているお店があって、 家の玄関に置くのにちょっと欲しかったけど、持って帰れない。 |
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牛乳の空き容器を運んでいるバイクがあって、牛乳が飲みたくなりました。 お坊さんみたいな格好をしている少年が掃除をしていました。 ヒンディー語でBABAはお父さんの意味なので、 お父さんの音楽学校? 要するにBABAをつけるのが好きなんですね。 |
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ハリシュチャンドラガートに着きました。 | |
スマホのパノラマ機能を使って撮りました。 |
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黄色い布がかけられた遺体が担がれてきました。 | |
お顔を見たら、まだ20代前半と思われる青年でした。 事故で亡くなったんでしょうか。 マーン(ヒンディー語でお母さん)が激しく泣いていました。 |
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三島由紀夫の小説 豊饒の海 の第三章にバラナシが出てきます。 三島はバラナシで衝撃を受け、あの自決につながっていったようです。 |
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豊饒の海は三島由紀夫の最後の長編小説です。 その中にこんな描写があります。 「ベナレス(バラナシ)は聖地の中の聖地であり、 ヒンズー教徒たちのエルサレムである。シヴァ神のいる雪山ヒマラヤの 雪解け水をうけて流れるガンジス川が、絶妙な三日月形を 描いて湾曲する所、その西岸に古名、ベナレスの町がある。 ベナレスはガンジス河畔6km内に84箇所のガートがある。 数千年の歴史があり、2つの火葬場には今も毎日多くの遺体が 運ばれ、また死を待つ人があふれている。死と共にあるベナレス。 この町を旅する人は必然的に死と向き合うことになるのだろう。」 イラストレーターの横尾忠則は三島に「インドには行くべき時期がある。 その時期はインドが決める」と勧められたらしい。三島が自決した 三日前に、横尾に電話で「君はインドに行くことができる。 行くべき時が来た。」と告げたという。 そうすると、今は……私の行くべき時なんでしょうか? |
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また今晩もプージャが始まります。 | |
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