スリランカって……こんな国です


 【60歳からのスリランカ一人旅】

  スリランカは、正式国名をスリランカ民主社会主義共和国と言います。日本から西へ6500キロ、インド洋に浮かぶ島国です。北海道より少し小さいくらいの面積の島国で、人口は約2000万人です。インドの南東に位置しており、その形からインドの涙とも言われています。太古の昔、インドから分離して島になったところは大陸から分離して島になった日本と似ていますね。首都はスリジャヤワルダナプラコッテです。この長〜い首都名は子供のなぞなぞにも登場するくらい、むずかしい名前です。かつてはセイロンと呼ばれていましたが、1972年に現在の名前のスリランカに変わりました。セイロンはサンスクリッド語で“ライオンの島”の意味です。現在の国名スリランカはシンハラ語で、スリ=光り輝く、ランカ=島のことで“光り輝く島”の意味です。あのマルコポーロは“この島は、一生に一度は訪れるべき島だ”と言ったそうです。実はあの夏目漱石・福沢諭吉・森鴎外も訪れています。以外ですね。国民の7割が仏教徒のシンハラ人、2番目に多いのはヒンズー教徒のタミル人、その他にイスラム教徒やキリスト教徒もいます。つまりスリランカには世界の4大宗教があるということになります。気候は熱帯性・高温多湿で、海岸部・低地では年平均気温27〜28度ですが、高地の気候は冷涼です。ヌワラ・エリヤ(標高約1890m)では年平均気温22度です。また日本との時差は3時間半です(日本の方が3時間半早いということです)。直行便なら約9時間でコロンボ近郊のバンダラナイケ空港に着きます。
  アラビアンナイトの中の「シンドバッドの冒険」には実はスリランカが登場すると考えられています。お話の中に宝石であふれかえる谷があり、その谷がスリランカに存在したのではないかと考えられています。昔からスリランカは宝石がたくさんとれる島として世界中に知れ渡っていたらしいのです。私も一応宝石工場の見学だけはしましたが、宝石には興味がないので、買いませんでしたが。
  スリランカの主な歴史です。
紀元前5世紀  
    シンハラ人の先祖にあたる人々が北インドから移住して
    王国を作った(都はアヌラーダブラ)
紀元前3世紀 
    仏教が伝えられた(以後、シンハラ人は仏教信仰)
紀元前2世紀以来
    南インドからタミル人が移住(現在のタミル人の原型)
紀元前3世紀〜紀元後   
    アヌラーダブラ王朝期
11世紀後半〜          
    ボロンナルワ王朝期
16世紀
    ポルトガル支配期(沿岸部のみ)
1592〜1815年     
    キャンディ王朝期
17世紀後半〜18世紀末     
    オランダ支配期(沿岸部のみ)
18世紀末〜1948年     
    イギリス支配期(全土)
    イギリス人によって100万人のインドのタミール人
    がお茶とゴムのプランテーションでの労働の為に
    連れてこられた。
1948年          
    イギリスからセイロンとして独立
その後、シンハラ人とタミル人の内戦が続きましたが、今は平和になってきています。 なお、シンハラ人とタミル人を外見で区別することはできません。1983年に起こった民族暴動の時にはシンハラ人の暴徒がタミル人を区別する時に、判断の基準はシンハラ語をシンハラ語らしく話せるかどうかだったということです。
  なぜスリランカにライオンはいないのに、国旗はライオンなのでしょうか?紀元前6世紀頃、スリランカにシンハラ王国を築いたヴィジャヤ王のおじいさんはライオンだったので、シーハ(シンハ)の子孫と呼ばれることになったと言われています。シンハラとはシンハラ語でライオンの子孫という意味です。この神話を生みだす根底には百獣の王であるライオンの子孫であるとすることによって、王権の権威を誇示するねらいがあったと見られています。 右手に剣を持ったライオンはシンハラ族(ライオンの民)を象徴4つの角には、仏教徒の象徴である菩提樹の葉、オレンジはタミル人(ヒンズー教)、緑はイスラム教を表しています。
  第2次世界大戦中、日本はコロンボなどを爆撃しました。しかしスリランカの人々は敵国であるにもかかわらず、日本の戦死者を手あつく葬りました。写真はスリランカのジャヤワルダナ第2代大統領です。第2次世界大戦後1951年のサンフランシスコ講和会議で、日本分割占領案に反対を唱えたセイロン(現スリランカ)代表です。
日本分割占領案とは
   戦勝国の連合軍は、日本に対して厳しい補償と制裁処置を
   求めてきました。ソ連が提案した米英中ソの4カ国での分割
   案は次のようなものでした。
   ソ連  北海道・東北
   米国  関東・中部・関西・沖縄
   中国  四国
   英国  中国地方・九州
アメリカやソ連などの戦勝国が日本を植民地化して支配しようとしている時に出席者の中で最も小さな国のセイロン代表のジャヤワルダナが真っ先に、日本を独立した国として認める様に、そして日本は我が国と同じく仏教国であり、憎しみは憎しみによって止むことはなく、慈愛によって止む“という仏陀の言葉を引用して発言しました。セイロンは日本に対して、対日賠償請求権を行使することを放棄すると発言しました。この発言が他の国々にも影響して日本の戦争賠償がとても軽くなりました。日本が戦後発展できたのは、このジャヤワルダナの発言のおかげもあるということですね。この事実はスリランカでは学校で教えています。その後、吉田茂首相は「我が国、日本は後世までこの大恩を忘れてはならない」と言ったそうです。この演説がなければどうなっていたのか、多くの日本人が知らない話です。
戦後はたびたび来日し、更に政界引退後も日本を訪れています。また日本の仏教関係者をスリランカに招待するなど、日本とスリランカの交流に尽力しました。1989年、昭和天皇の大喪の礼には、大統領に代わって参列しました。1991年には日本の仏教関係者の招待で広島を訪れました。1996年、死去に際し、角膜を提供。“右目はスリランカ人に、左目は日本人に”との遺言により、左目は日本に贈られました。日本はスリランカに対して、多額の経済援助をしていますが、それにはこういった背景があったのです。
テレビ番組 ”世界の村で発見! こんなところに日本人”でスリランカが取り上げられていました。草野仁さんが、日本人はスリランカについてあまり知らない人が多いが、本当はそれではいけない、日本人が知っていなければいけない国のひとつだと紹介し、先ほどのサンフランシスコ講和会議の話をしていました。
  スリランカの識字率は92%で、これは開発途上国としては極めて高い水準です。教育制度として、全国全ての子供に9年間の義務教育を適用しています。スリランカは、世界でも数少ない初等教育から高等教育まで、全ての教育が無償な国の一つです。また医療費も国民は無料です。左の写真はアヌラダーブラの小学校前にあった看板です。現首相と子供の写真です。
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