平和な風景が好きだったニゴンボ


 【60歳からのスリランカ一人旅】

  ニゴンボはスリランカの空の玄関バンダラナイケ(コロンボ)国際空港から約37qの地点にあります。まず、アヌラダーブラ方面に行くのであれば、最初の夜にコロンボで泊るよりも、ニゴンボで宿泊してから行く方が地理的に合理的です。ニゴンボは、世界遺産も無いし、有名なものがある訳ではありませんが、スリランカの人々の日常生活を見ることができる、とてもいい町だと思います。
  スリランカには、カトリック教徒漁村と仏教徒漁村が存在します。ニゴンボはカトリック教徒が集中している地域で、漁村ごとにカトリック教会が立ち、驚くべきことに、魚のセリ場にも聖母像やキリスト像があるのです。休漁日はキリスト教の安息日の日曜日で、女性も漁業に関わり、魚の加工 (魚を干す)や販売に従事します。
  しかし、ニゴンボから南下するに従い仏教徒漁民が多くなっていくそうです。こちらは休漁日はボーヤーデー(新月・半月・満月の日)で、女性は漁業に関わらず、家事労働のみです。つまり、休漁日が違うので、真ん中にあるコロンボでは、1週間いつでも魚が手に入るということになります。左の魚はイワシです。日本のめざしと同じです。この干イワシをカレーに入れる? 私はやはり焼いて食べたい。
  「仏教徒漁村では出漁の日、途中でお坊さん(生産しない人)に出会うと、不漁になると言われ、帰宅してもう一度出直す」と日本で読んでいった本には書かれてありましたが、ここはクリスチャンの漁村なので、この点については確かめられず、残念です。カトリック漁村の場合なら、途中で神父さんに出会うと、不漁になるとは決して言わない様な気がします。海岸で魚をさばいています。今日は安息日なのに、働いてもいいのでしょうか? それともこの人たちはカトリック教徒漁民ではなくて、イスラム教徒漁民でしょうか? 本当は聞きたかった私ですが、聞けませんでした。
  迫力あるお父さんでした。カトリック漁民はポルトガル系の姓と名前を持っているそうです。このお父さん、ロドリゴさん? セバスチャンさん?アドリアーノさん? カルロスさん? セルジオさん?
   このお母さんは魚を売って仕事をしているので、やはりカトリックなのでしょうか。ちょうど今日は日曜日なので、ややこしいのです。
   魚をさばいているのは、いつも男性でした。結構、力仕事です。ベッガー(乞食)がいて、ドライバーはお金をあげていました。日本にはベッガーがいるかと聞かれました。現在、日本では乞食は差別用語になりましたが、本来は「食を乞う」という仏教用語であり、生産してはいけない坊主の大切な修業だったと何かの本で読んだことがあります。
  港近くにあるイエスキリスト像です。日本の感覚からすれば、なんか場違いな感じがします。
  ポルトガル・オランダの植民地時代から使用されている漁港が今も存在します。ニゴンボの主要産業は漁業です。 
  日本の漁師さんと同じように、網を繕っています。どこの国でもしなければいけないことは同じです。
   特別、有名なものがないニゴンボですが、遠くに見えるカタマランボート(帆かけ船)はちょっと有名なものです。ニゴンボは古代から続く、このカタマランボート漁業で知られます。ニゴンボビーチの風物詩ですね。昔からニゴンボは勇猛果敢な漁師の町として有名なのです。あんな小さな船に乗って漁をするなんて、勇敢でなければできません。
  この船にモーターはついていなくて、牛の皮でできた大きな帆で風を受けて進みます。エンジンが付いた漁船もあったので、ドライバーにカタマランボートはお金があまりない人が使うのかと聞いてみたらそうらしいです。方向転換の時に、、帆の向きを変えるのは、とてもむずかしいそうで、カタマラン漁師の腕の見せ所だそうです。古代からの漁なんて、かっこいいです。あんなに不安定な、揺れる船の上で重たい地引き網をひっぱるんですね。
   ニゴンボ市中心部の運河を見たくて、ドライバーにカナールに行きたいと言いましたが、通じず、マンメイドリバーとかノンナチュラルリバーとかいろいろ言ってみたが通じませんでした。するとドライバーは大阪の義兄弟の所に携帯で国際電話をかけたのでした。もうこれにはびっくり。高い電話までしなくてもいいのに,まあ、何とかわかって見ることができました。18世紀頃、支配していたオランダが、香辛料の輸送のために作った運河ですが、現在は漁師が海に出るためや生活物資を運ぶために使われているとのことでした。ドライバーはオランダ人のことをダッチと言っていましたから、私はその英語を覚えました。Dutchです。
  ニゴンボプリズン(刑務所)です。これもプリズンに行きたいと言っても通じずブリティッシュ英語かなと、ジェイルと言ったら通じました。 こちらもオランダ時代の遺跡ですが、外敵を防ぐための砦の跡です。このゲートを通って中の刑務所に入ることが出来ます。ゲートの上の方に 1678 という数字が見えましたが、これはこの砦が造られた年のことです。もう400年近くも経つています。 
  本当に使用されているニゴンボ刑務所が中にありました。中の受刑者が、ちらほら見えたりしました。面会日にはたくさんの家族が面会に来るそうです。
  ニゴンボは多数の宗教が共存する町でもあります。ヨーロッパの植民地化以降、ニゴンボではカトリックが多数派を占めており、その他に仏教、ヒンドゥー教、イスラム教も存在する状態となっています。ニゴンボは「リトル・ローマ」という愛称でも知られており、これはポルトガル時代この地域に聖メアリー教会を始めとする多くの美しい建築物が建てられたことによるそうです。ニゴンボ全体ではなんと、20以上のカトリック教会が存在しているのです。 
  教会の敷地内にあった、イエスキリスト像です。キリスト教がヨーロッパから入ってくる以前は、宗教と民族は同じでした。つまりシンハラ人は仏教徒でタミル人はヒンズー教徒だったのです。でもキリスト教やイスラム教が入ってきてからは、例えば、シンハラ人がキリスト教に、タミル人がイスラム教に改宗するということなども出てきたそうです。そういうことがあるので、民族間の対立も、複雑になるんですね。
  中もこんなに美しい。
  日曜日のミサに大勢の人が集まっていました。中に入らずに、外でひざまづいて一生けん命にお祈りしていた男性が印象的でした。
  キリスト教会は日本でも、たくさんあるので、慣れていますが、ヒンズー教寺院は、日本にはないので、とても驚きました。カラフルな色と表情豊かな神々たちが建物の外にもびっしりです。面白くて、どれだけ見ていても飽きませんでした。
   スリランカは1505年にまずカトリック国ポルトガルによって、植民地化されましたが、ポルトガルはカトリックへの改宗策をすすめ、仏教やヒンズー教を弾圧しました。この時代に海岸部の漁民などがカトリックに改宗したのだそうです。
  次に1658年からはプロテスタント国オランダによって植民地化され、ポルトガルによるカトリックへの改宗者を今度はプロテスタントへ改宗させました。次から次へと、宗教を変えさせるとは酷いことをしたものです。そして1796年からはイギリス国教会系のイギリスの支配を受けました。イギリスは宗教の自由を認め、諸宗教を平等に扱う方針をとりました。つまり一時的にプロテスタントに改宗していたカトリック教徒は再びカトリックに戻ったとのことです。その子孫がこのニゴンボのカトリック教徒ということですね。
   ヒンズー寺院の入り口です。表通りから見て、裏に入り口がありました。
  中に入る時は、仏教寺院と同じように、靴を脱がなければなりません。足を洗って、清めてから入りました。
  夕方の ビーチは地元の人達で賑わっていました。
  おじいちゃんが家族と一緒に海遊びを楽しんでいます。 日本には、決してない光景です。夕方、涼しくなったら、海や川や湖で水遊びを楽しむとは、何と平和な国でしょうか。
  ムスリム(イスラム教徒)の女性も、黒服でそのまま海につかり楽しんでいます。
  平和な夕方の風景なので、動画を撮ってきました。家に帰ってきても、何回も見て、ほっとします。
  ニゴンボの海岸沿いのシーフードレストランです。お店の前に恐竜がいます。
  ニゴンボでは、やはり海沿いの町なのでシーフードを食べました。
  朝食前にホテルを出発して、魚の水揚げを見に行きました。前の晩、レストランで聞いた情報は間違っていたらしくドライバーは、魚の水揚げに間に合わないんじゃないかと、血相を変えて盲スピートで船着き場へ。まさにジェットコースターなみの運転でした。聞いてはいたけど、すごいものです。年寄りには、ちょっと心臓に悪いですが、エキサイティング。
  猛スピードでしたから、スピードメーターを見てみると、しっかり壊れていて、時速0キロでした。その間道路の真ん中でのんびり寝てリラックスしている犬がいて、危なかったですが、抜群の運転技術により大丈夫でした。わんこも道の真ん中で寝るとは、根性あります。水揚げは、時間が遅くなると見られないから、彼は相当、焦りました。その必死さが伝わりました。 
   
  カラスたちが漁師さんの獲ってきた魚を狙っています。他の町と比べて本当に、ここ ニゴンボはカラスの多い町です。
  漁船の内側に何か絵が描いてあるので、よく見るとイエスキリストでした。日本の漁船に仏陀は書いてありません。
  今から10年前の2004年、インドネシアのスマトラ島沖でマグニチュード9,1の大地震が発生し(東日本大震災は9.0)、ここスリランカにも大きな津波が来て、死者が3万人を超えました。コロンボの南の海岸沿いを走っていた列車が津波に飲み込まれ1700人が死亡するという世界の鉄道史上最悪の惨事となりました。スリランカでは津波について全く知らなかった人が多かったそうです。海がふくらんできたことを不思議に思い、見ていて被害にあった人が多かったのです。また津波のあと、見つかるのは人間の遺体だけで、象・サル・野良牛など動物の死体は見つからなかったとのことです。動物には危険を予知する能力があるのでしょうか。
  砂浜に座っている4人の女性は、漁で水揚げされた魚を、仕分けしたり、干し魚の準備をするために、ここで待っています。キリスト教徒女性は、仏教徒女性と違い、漁の仕事に関わります。
   ニゴンボ市場に行く手前の橋を渡るところです。左に見えるパイプには、ドライバーによると、水が通っています。
  カタマランボートが帆を上げていない時には、こんな形になるとは思いませんでした。しかも、これほど小さいボートだとは、想像しませんでした。 こんなに小さなエンジンがついていないボートで海に出るとは、ほんとに命がけです。遠い所から見ていた時はもっと大きく見えたのですが、それは帆が大きいからなのだと理由がわかりました。
  魚のせり場です。
  鰹のような魚でしたが、もしかして、鰹節になるのでしょうか?鰹節はスリランカでは、モルディブフィッシュと呼ばれます。
   魚をさばいている若者のシルエットがきれいで撮りました。
  魚を食べる犬を、私はここで初めて見ました。
  大きなマグロの頭を食べています。スリランカでメタボ犬は見ませんでした。
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