アヌラーダプラは月が出てからがおすすめです


  【60歳からのスリランカ一人旅】

  これはレンガ工場の煙突です。スリランカでは、仏塔や寺だけでなく、普通の家もみんなレンガ作りでした。こんなレンガ工場はよく見ました。
  煉瓦建築の技術は、日本では明治時代に導入されましたが、構造材として用いる場合は地震に弱いという欠点があり、関東大震災では多くの被害を出しました。でも、仕上げ材としては現在でも多く用いられています。これは洋風の雰囲気を出すため、木造や鉄筋コンクリート造の表面に張り付けているのです。でも、ここスリランカでは、飾りではありません。まさに構造材その物として紀元前からずっと現在まで使われているのです。
  アヌラーダプラの歴史は紀元前から。
現役の巡礼の町で、スリランカで最も重要な聖なる都です。 
まず、イスルムニア精舎に行きました。精舎の手前にある仏教遺跡にふさわしい蓮の花です。隣にも新しい物を作っていましたが、ドライバーによると、スリランカの人は古い方が好きだそうで、新しい物にはあまり興味がないとのことでした。
  入り口でまず、靴を脱ぎ、男女別の服装を調べるゲートを通らなければなりませんでした。
私は靴を脱ぎ、用意してきた靴下(暑いのでスニーカーソックス)を履き、ゲートを通りましたが、ストップさせられてしまいました。フレンチスリーブのワンピースは肌を露出しているので、ショールが必要だったのです。実はショールは用意してあったのですが、その日はあまりにも暑くて、車に置いてきてしまったのです。するとゲートの女性は、白いショールを私の肩に巻き、ギュッと
巻きつけました。それだけで暑がりの私は、どっと汗が噴き出してしまいました。暑いので、せめて日傘をさそうとしたら、これもだめだめと言われてしまい、炎天下の中を汗だくで見学しました。 相当厳しいです、この国は。
  イスルムニア精舎は通称 “ロックテンプル”と言われ、天然の岩を利用して作られています。小さな岩山の浅い洞窟を利用して作られた御堂に極彩色の釈迦涅槃像が安置されています。また、精舎の中に横たわる大仏を塗り替えた時に、日本の浅草寺の援助があったらしいです。 日本とも関わりがある所です。
   ここには、寺院の王宮庭園で発見された伝説の「恋人の像」の浮き彫りがあります。「恋人の像」は、紀元前2世紀に身分を捨てて低いカーストの娘マーラと結婚したサーリヤ王子の像です。
   
  かなり急な階段でしたが、目の見えない老人を孫らしい女の子が介助して登っていました。目の見える私でも、足を踏み外さないように気をつけていましたが信仰の力というのは強いものだと感じました。
  岩を削って寺を作るのは、普通に建てるよりも、どれだけむずかしいことでしょうか。やはり、自然の岩というのは、特別のパワーが宿っていると考えられていたんだと思いました。
  スリーマハ菩提樹の服装チェックゲートです。男性用と女性用に別れています。今度は自分のショールを首に巻いていたので無事通過できました。 
  スリーマハ菩提樹の樹は、インドのブッダガヤで仏陀が悟りを開いた菩提樹の分け木で、記録が残っている中では世界最古(樹齢2200年)とされています。スリランカ中の菩提樹は全てこの元の木から別れたものです。スリランカ仏教で菩提樹信仰は古いのです。私は落ちていたありがたい菩提樹の葉っぱを拾って日本に持ってきました。菩提樹の葉っぱは形が大変美しいです。
  菩提樹の葉っぱです。もともとは緑でしたが、本にはさんで押し葉にして日本に持ってきたので、濃い色になりました。
  南国の色鮮やかな花とお供え物が印象的です。
  写真と違って、動画はその時の花の匂いまで、思い出します。日本ではお供えするお花は菊が多くて、しんみりしますが、こちらでは、色とりどりで華やかです。
  ここで、私は男の人に、おでこに白い粉を塗りつけられて、あれよあれよという間に腕に白い糸をグルグル巻きにされて、お布施をさせられました。なんかいつのまにか、されていて、おもしろくておもしろくて笑いました。ほんとに楽しい国です、スリランカ。  この瞬間お布施体験はスリランカで一番面白かったことかも。 
  これらの花には蜂がブンブンいっぱい蜜を吸いにきていましたが、誰も気にしていません。
  この小さい菩提樹の樹は、分け木の、そのまた分け木です。人々はその樹に、お水を上げていました。
   
  菩提樹寺の内部の様子です。ちょうどお参りの時間でした。
白衣の人々がお供え物を持って歩いていきます。信仰が生活に根付いているという印象です。
  左の小屋が靴を預ける所です。少しのお金を払って、預けます。もちろん、自分でビニール袋に入れて持参しても構わないです。
  お猿がのんびりと木陰でくつろいでいます。もちろん野生です。
  アヌラーダプラ駅です。今回、私は車での旅で、鉄道は使わないので、駅を見学しに来ました。どんな駅でしょうか。
  アヌラダープラ駅とシンハラ語と英語で書かれています。シンハラ語はとてもかわいい文字で、大好きですが、英語表記がなければ、意味はさっぱりわかりません。それにしてもアヌラーダプラ……何ていい名前でしょうか。まるで魔法の呪文のようでもあります。
  切符売り場で、入場券を買いました。10ルピーでした。日本同様、入場券というものが存在します。
見送りの人や私みたいに見学したい人が買うんですね。
  電車は便数がとても少ないと思いました。例えば、コロンボ行きは1日7本しかありません。 バスの方が便利だということですね。
  イギリス植民地時代の時計板が残っていました。もちろん現在は使われていませんが、とても美しいものでした。あとでキャンディ駅にも、よく似た物が残っていましたが、こちらの方がずっときれいでした。
  駅員さんの話によると、昔はそのたびに、時計を手で直していたそうです。
  入場券を改札口で駅員さんに切ってもらったら(切符を切ってもらうのは昔なつかしいです) 、私が電車に乗るのではなく、見学したいのだと駅員さんはわかったんですね。駅の中をあちこち案内してくれました。オペレーションルームまで見せてくれました。とてもフレンドリーな駅員さんたちでした。
  イギリス時代の古い機械と、現在の新しい機械が置いてありました。 古い機械は使われていませんが、こうやって保存してあるところが素晴らしいです。
  とても美しい形の電話機です。 
  昔の列車の発車ベルです。もちろん手動。
  こちらは、現在使われているコンピュータオペレーションシステムです。昔の機械に較べると、美しくないですね。
  駅構内の女性用お手洗いです。
  中に入ってみて、びっくり。こんなに広い女性用の待合室がありました。 
  スリランカで初めて見た、和式トイレです。そして、初めて見た手動の水の入ったポットです。今はみんなシャワー方式になっていて、こんなタイプは珍しいです。ここだけでした。
  駅構内のレストランです。のんびりした時間が流れていました。 
  プラットフォームです。日本とあまり変わりません。
   アヌラダープラとシンハラ語とタミル語と英語で書かれています。
  ミヒンターレはアヌラーダプラから車で30分くらいの所にある、スリランカで最初に仏教が伝えられた聖地です。特に仏教が伝来したという 6月〜7月のボヤデー(満月)には何千人という信者が国中からここに集まります。ミヒンターレの山を登り、頂上の岩山に登り、満月を拝むといいます。ああ、満月の日にもう一度、来たいものです。紀元前247 年6 月、鹿に化身した山の神がこの地に鹿狩りにやってきたデーワーナンピア・ティッサ王を、布教のためこの地を訪れていたアショーカ王の息子マヒンダに会わせ、仏教に帰依させたと言われています。王は感謝し、この石窟と僧院をマヒンダに贈り、マヒンダに因みこの地をミヒンタレーと言うようになったといわれています。
  ミヒンターレには1883段の階段がありますが、私はシギリアロックでの体力温存のため、たったの10段だけ上りました。本当は登って、アヌラダープラの町を見たかったのですが。もう一度、7月の満月の日に来るつもりなので、その時までのお楽しみにします。たったの10段とドライバーが笑います。
  イスルムニア精舎、スリーマハ菩提樹、アヌラダーブラ駅、そしてミヒンターレと見学し、ここで私はバテてしまいました。アヌラーダプラというのは、やはり暑いんです。しかも、日傘をさせないので、熱中症の一歩手前みたいな感じになって、限界だと思いました。ドライバーはさあ、今度はミリサワティ仏塔に行こうと誘いましたが、午後はシャワーして、ホテルの部屋で休憩してその後、夕方涼しくなってから行きたいと言いました。こんなことが出来るのも、個人旅行だからです。ツアーだとそうはいきません。果物屋で買ったドラゴンフルーツをシャワーの後、食べてお昼寝しました。
  ミリサワティ仏塔です。
昼間とは打って変わって、夜の涼しいこと。あれだけ焼けていた石畳はひんやり心地よく、観光客も私以外、誰もいません。一生懸命お参りする現地の人々だけです。昼間、無理して来なくて本当によかったと思いました。
  仏塔の先は、ダイヤモンドだそうです。だれも盗まないのかなと思いますが、そんな罰当たりなことをする人はいないんですね。
  一見、真っ白で新しそうに見えますが実は紀元前からの建造物だということが、一部分だけ中の古いレンガが見える様になっていてわかりやすいです。
  今日の月は半月より少し大きいくらいですが、美しく、とても神秘的です。古代の人も同じように眺めたであろう月です。
  ドライバーによると、1年に1回、7月に機械を使わずに古代からの方法で塗り替えるそうです。これも、次回、見てみたい物の1つです。スリランカは1回来たからもういいやという国ではなく何回でも訪れてみたくなる国です。深いんですね。
白い色はスリランカでは、特別な色です。スリランカの仏塔は真っ白の色で統一されています。白い色は仏陀の永遠なる静寂と平穏を表します白い仏塔にお参りする時の、スリランカの地元の人々の白い服装がとても印象的でした。
  仏塔というのは、日本の五重塔や三重塔と同じ役割です。仏陀が亡くなったあと、仏陀の遺骨は八等分され、インド各地に仏塔が建てられました。仏塔は、大体半円球の形に作られ、お椀を伏せたような形です。仏塔は仏陀亡き後の仏教徒にとって仏陀を偲ぶ礼拝の対象として、非常に重要な役割を担っているのです。
  紀元前200年に建造が始まったルワンウエリサーヤ仏塔です。
世界の三大レンガ建築の一つです。
塔の高さは70m。2000年以上前に作られた当時は100mあったらしいです。基礎部分にはたくさんの象が彫られており、これは昔、この塔を建てた時に象の力で地ならしをしたためだそうです。こちらの仏塔の方がかなり人気があるらしいですが、私は断然ミリサワティ仏塔が好きです。
アヌラーダプラのシンボルらしく、街のほとんどの場所から見ることができ、遺跡地区の中心にあります。地元の人は白い衣装を着て、時計回りに手を合わせ大塔に体をつけて祈っています。 煉瓦を積み上げる前、色鮮やかな石で部屋を作り、宝石で作った菩提樹と金の仏像を安置したという伝説もあります。これも今は、煉瓦の奥に埋もれ、確かめようがないのです。
  献灯台です。灯明は闇を照らす光です。その光は知恵を象徴し、火を灯すことはそれだけで供養になるのだそうです。
日本のお寺ではろうそくを灯しますが、スリランカではココナッツ油のオイルランプが一般的です。 
  ところで、ここに変なかっこうで立っているお坊さんがいて、身動きひとつしません。その人の前に「私にお金を与えないで下さい私は一生、お金を使いませんから」と書いてありました。この言葉……随分、哲学的ですね。
ここで、スリランカの仏教について
   日本では真面目でない僧侶に寛容であるが、スリランカ
   では簡単には許してもらえない。
   日本の仏教界からも、世界の仏教界からもスリランカ仏教
   は特別なものと見られており、現存する仏教の中では
   釈迦の時代に最も近いものとして高く評価されている
スリランカの出家とは
   家を出て、それまでの社会的なつながりを断つことを意味
   する。寺院に住み込み、そこで生活する。10歳前後の少年
   が、得度式をあげて、見習いの僧になるために修行する。
   いったん、得度した子供に対しては、親といえども僧侶として
   の敬意を払わなければならない。タイのように一時的に僧侶
   になってまた俗世間に戻るような一時出家制度よりもはるか
   に徹底している。家族や財産を持つことはできないし、他の
   人に何かを要求してもいけない。生産を禁じられている僧
   侶
の生活を保障する制度が布施。日本では布施は現金で
   あるが、スリランカでは食べ物。これが本来の姿では?。
   葬式や法事、特に没後三か月目の徹夜の法事では若い僧
   は徹夜でお経を読む。
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