【とらやの羊羹ーNo.37】~60歳からの市販のお菓子日記~ |
場所・電話番号 | インターネット情報 | 料金(税別) |
(株)虎屋 ●本社住所 東京都港区 赤坂4ー9ー22 ●工場住所 静岡県御殿場市 印野1581 ●電話番号 0120- 45-4121 |
●公式HPがあります https://www.toraya- group.co.jp/ |
●小型羊羹 1本 270円 5本入 1300円 10本入 2500円 12本入 3000円 |
あの高級羊羹で有名な”とらやの羊羹”を先日頂きました~。 これまで話には聞いていましたが、67年間の人生で1回も食べたことがありませんでした。 実は正直言って、ようかんがあまり好きではありません。 水ようかんなら大好きなんですが、本物の羊羹は甘過ぎると思います。 でも死ぬ前に、一生に1回はとらやの羊羹が食べたかったので、うれしかった。 |
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とらやさんは1978年、美味しい羊羹を作るために 富士山の伏流水を使用できる御殿場に工場を建てました。 そこでの羊羹作りは3日にわたります。 1日目……小豆を煮て羊羹専用のあんこを作り、寒天を準備する 2日目……あんを練り上げ、寒天を加えて固める 3日目……固まったら包装する バラつきのある天然の材料を使い、日によって温度や湿度も変わる中で、 常に一定の味を保つのは大変むずかしく、 とらやに長年伝わる羊羹の作り方はマニュアルでは表せないものがあり、 熟練の職人技がとらやの羊羹を支えているそうです。 |
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羊肉入りの熱いスープ |
ところで、漢字でようかんを 羊(ひつじ)の羹(かんー熱いスープ) と書くのはなぜでしょうか? 中国では羊羹とはもともと 羊の肉を煮込んだスープのことでした。 それがなぜ日本では和菓子になった? 中国に修行に行った禅のお坊さんが 日本に伝えたのですが、 禅宗では肉食が禁じられていたので 小豆などの植物性の材料を使って、 羊肉に見立てて作ったものが原型で 時代と共に甘みや寒天が加わって 今の羊羹になっていったようです。 いくら変化していったといっても 別物ではないですか、これ??? |
第12代店主 黒川光正さん (1839ー1888) 江戸時代生まれです。 第18代 現社長 黒川光晴さん (1985ー ) 幼い頃、工場で職人さんたちが 羊羹を作るのを飽きることなく 見ていたそうです。 |
とらやは室町時代に京都で創業しました。 御所(天皇の住まい)が京都にあったからです。 歴史のある皇室御用達のお店です。 明治になって東京遷都の時に、 12代光正さんは京都に留まるか、 天皇にお供して東京へ進出するか むずかしい選択を迫られました。 室町時代から京都で300年以上 商売してきたので、新しい土地で始めることへの 不安が大きかったのですが 東京に移転しました。 でも京都御所のそばには 現在も虎屋京都店があります。 |
とらやは京都に御所があった時以来、 御所御用を賜っています……と 書いてあるらしい。 |
13代店主の光正さんは 従来の御所やお得意さん以外への販売にも 積極的に取り組み、新聞などに広告を出しました。 広告の成果もあり、売り上げが上昇しました。 14代店主の光影さんは 外国人にもアピールしようと 英文広告も出しました。 現在の新聞に外国人向けに 英語の広告を出す会社なんて ありませんよね。すごいですね。 ハイカラな……。 |
この見本帳は写真ではなく、 画家が描いた絵であることが貴重ですね。 現代の商品カタログのようなものです。 |
14代店主の黒川光景さんは お菓子作りに深い情熱をもっていました。 菓子品評会の審査員や赤坂区会議員など 店の経営だけでなく、業界の発展に尽力しました。 光景さんは大正時代半ば頃になると 店を後の15代武雄さんに任せ、 お菓子について研究するようになりました。 そしてお菓子の見本帳を作りました。 |
大正14年お正月の店頭風景写真 右端が15代の武雄さん、 その隣が14代の光景さん、 手前の子どもが後の16代光朝さん、 左の車がフォード 大正13年にフォードのトラックを購入しました。 当時はお菓子を徒歩や自転車で配達していましたが、 自動車が導入されたことで 配達時間が大幅に短縮されました。 |
大正12年(1923年)に起こった 関東大震災では大損害を受けましたが、 奇跡的にも製造場は残りました。 15代武雄さんはそれまでの経営スタイル (注文を待ってその分だけを作って売る) という従来の受注販売ではだめだと 積極的に現在のような店頭販売を始め、 また自作のガリ版刷りの 挨拶状とお菓子の種類を書いたビラを持って お得意様や丸の内の会社や銀行などを回りました。 この頃に現在も人気の 「ホールインワン最中」が誕生しました。 また食べやすい小型羊羹も考え出しました。 |
空襲をうけて焼けたとらやの伝馬町工場 |
戦争中はとらやも原材料不足に悩まされました。 昭和20年5月25日の夜、空襲警報が鳴り響き、 B29爆撃機が東京を空襲しました。 この空襲によって赤坂一帯が焼け、 伝馬町の工場は全焼しました。 工場の倉庫には海軍に治める予定だった 羊羹がありましたが、みんな溶けてしまったので 集まってきた人々に配ったそうです。 甘いものがない時代だったので喜ばれました。 |
コッペパンが置かれた工場 |
昭和20年(1945年)終戦。 店員の戦死、原材料不足、衛生状態の悪化など この時期はとらやの歴史の中で 最も大変な時期でした。 経営を続けるためにいろいろなことを していきました。 戦時中先を見通して研究していたパンの 製造も開始しました。 味がいいと評判になり、青山通りには パンを買う人々の長蛇の列ができました。 また輸出用として缶詰羊羹を作って 日系人が多いロサンゼルスやサンフランシスコ、 ハワイなどに輸出されました。 |
東京オリンピック時、店先を走る 聖火ランナーの様子 |
昭和39年(1964年)東京オリンピック開催に 伴う道路拡張工事に合わせて、 現在の赤坂店の場所へ移転することになり ビルを新築しました。 |
現在のとらや |
地上9階建ての虎屋ビルは 周囲にまだ高い建物がない時代、 遠くからでも目立つ建物でした 寅年の昭和61年(1986年)1月1日 ビルに大凧が飾られました。 |
昔のデザインはお洒落で素敵ですね。 うちに頂いた小型羊羹は こんな箱に入っていました。 私は昔の方が好きです。 |
小型ようかんは、15代店主の 黒川武雄さんが考案したものです。 大正時代、東京六大学の野球を よく観に行っていた武雄さんは、 帰り道にいつも 「こんな大勢の人たちに 気軽に買ってもらえる羊羹を作りたい」 と考えていました。 そんな時にたまたまフランスの香水を もらい、化粧箱の大きさや洒落たデザインを見て 「これだ!」と思いつきました。 |
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消しゴムの2倍強くらいの大きさです。 かばんに1つこっそり入れておいて ちょっと仕事で疲れたなと思ったら こっそり食べれば、元気がでること 間違いありません。 |
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とらやを代表する羊羹の 「夜の梅」です。 ”切り分け不要”がキャッチフレーズの 小型羊羹なんですが、 私はさらに4つに切り分けて その中の1つしか食べられません。 渋いお茶と一緒に食べたい羊羹。 |
寒天を英語で言うと”アガー”って いうんですね。 どうしてアガーアガーと続けて 言うのでしょうか??? |
Toraya "Yoru no Ume"Yokan is a traditional Japanese confectionary. Ingredients sugar, azuki beans, agar-agar とらやの「夜の梅」羊羹は 伝統的な日本の甘いお菓子です。 原材料 砂糖・小豆・寒天 甘いお菓子はスィーツだと思っていたら コンフェクショナリーなんて むずかしい言葉があったんですね。 |
頂いたのが2021年3月だったので 賞味期限が約1年間あることになります。 賞味期限が長いので、遠方へのお土産 にもいいし、生菓子のようにあわてて 食べなくてもいいところが気楽です。 時々、甘いものが食べたくなったら 1つずつ食べられるということです。 |
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”夜の梅”…… 意味深な名前ですが、 梅の味がするわけではありません。 ”夜の梅”の名前の由来は 切り口の小豆の粒が 夜の闇にほの白く咲く 梅の花を思わせるからだそうです。 何かほんわかとした和歌の世界です。 |
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「おだやかに抹茶が香る練り羊羹です。 自然な色合いと心地よい苦みをお楽しみ下さい」 と書いてありました。 渋~い緑色の羊羹です。 ひとくち食べてみると お抹茶の上品な味がじんわりとしました。 |
Toraya "Shimmidori"Yokan is a traditional Japanese confectionary. Ingredients sugar, white azuki and other beans, agar-agar, powdered Japanese green tea とらやの「新緑」羊羹は 伝統的な日本の甘いお菓子です。 原材料 砂糖・白小豆と他の豆・ 寒天・日本の抹茶 |
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この栄養成分表示でびっくりしたのが 塩が0gだということでした。 甘さを出すためには少量の塩が必要だ とばかり思っていました。 ぜんざいなんかでも塩が入っていないと おいしくないと思うんですが。 |
栄養成分表によると カロリーは145キロカロリーです。 普通の大きな羊羹(約2100キロカロリー) の1切れ分と同じですね。 でも私はさらにこの小型羊羹の1/4しか 食べませんから35キロカロリー ということになります。 それにしても私の義母(夫の母)は 昔、若い頃、大きな羊羹をいっぺんに 全部ぺろっと食べたそうです。 おかげで中年になってから 糖尿病になって苦しみました。 ガンになって手術しても糖尿病のため 傷口がくっつかなかったんです。 やっぱり羊羹はいくらおいしくても ほどほどにしておかないと 大変なことになります。 |
2021年8月 |
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