ありがとう 旅で出会った人たち


 【60歳からのスリランカ一人旅】

  スリランカではなく、成田空港で出会ったインド人親子です。シャイな私ですが、思い切ってチェックインの行列で前に立っていたサリーを着た女性に「サリー素敵ですね」と話しかけてみました。日本の新横浜でコンピューターの仕事をしている息子さん(25歳)のところに1カ月くらい遊びにきていて、息子さんの夏休みに合わせて一緒に南インドのケッラという町に帰るところでした。
最初、スリランカ航空なので、スリランカ人だとばかり思っていましたが、インド人でした。聞いてみると南インドはニューデリーから行くよりも、スリランカ経由で行った方が近いとのことでした。飛行機で30分しかかからないそうです。でもスリランカ到着は夜中になるので、1泊してからインドに帰る予定だそうです。息子さんに日本の食べ物には慣れたかときくとココ1番屋のチキンカレーが大好きとのことでした。飛行機が予定より遅れたので、ランチ券がスリランカ航空から支給され、その親子と一緒に昼ご飯を食べました。一人旅もいいものです。
  成田空港で出会った、自称、昔ワルだった日本人男性77歳の方です。外国人のホストファミリーを長年している方で、ホームステイしていた学生の結婚式に行くところでした。そのスリランカ人家族が空港に迎えにきているので、その住所も知らないとのことでしたが、もし空港で行き違いがあったら自分でタクシーで行かなければならないのに、大丈夫か心配でした。その家族に観光よりスリランカの人々の生活を見たいから、適当に予定を作っておいてと要望したとのことでした。自分から僕は昔ワルだったんだよと話してくれて中学生の頃、一晩かけてカンニングペーパーを作って、前に先生がいる時は成功するけど、後ろに先生がいる時は、うまくいかず、仕方がないからカンニングペーパーを食べたとのこと。昔、ワルだったので、60歳になり、定年後はホストファミリーをして罪滅ぼしをしているとのことです。これまでいろいろ結婚式に招待されて行ったそうです。タジキスタンでは歌手を呼んで、盛大に10時間の結婚式。タジキスタン大学には日本語学科があって、アニメに興味がある人が多く、本物の日本人と直接会って話したいという人が多いということです。中国に行った時は、大学の入学式を見たが、新入生は全員迷彩色の兵隊の服を着て出席し、1週間軍隊同様の訓練があるとのことです。また、ホームステイの学生には高校野球の県大会決勝戦を見に連れて行き、必ず負けたチームの姿を見せるそうです。ホームステイしている学生から「お父さんは学校で教えてくれないこと(パチンコや競馬にも連れていく)を教えてくれる」と好評とのことです。本当に楽しいお話をどうもありがとうございました。
  キャンディアンダンス上演会で隣に座ったスリランカ男性(ガイドさんです)に日本語で話しかけられて、びっくり。その人は45年前に東京に住んでいて、その当時流行っていたブルーライト横浜を今でも歌えて、一緒に歌ってしまいました。自分がもっと若かったら一緒に歌えなかっただろうし、よかった〜60歳でと思いました。なんと、その当時の総理大臣の田中角栄という名前まで覚えていました。昔、船に乗っていて世界中の言葉がわかるらしいです。偶然、面白い人に出会って楽しかったです。
  左がキャンディのトゥクトゥクドライバーのアジスさんです。ドライバーの友達です。トゥクトゥクは三輪のオートバイに車用のボディを無理やりくっつけた乗り物で、ドライバーにによると全部インド製で、1台50万ルピーもするんだそうです。色は赤・緑・黄色などお洒落な、しかし目立つ色で塗装されています。スタンドでガソリンを6リットル入れました。基本的にバイクなのでたくさん入れられないらしいのです。ワインくらいの瓶に水みたいなものを入れてもらっていたので、それは何ですかと聞くとガソリンでした。もしガソリンスタンドがない所でなくなったら、それを使うらしいのです。怖いです。爆弾を抱えているようなものです。もし交通事故にあって、他の車とばーんとぶつかったら、そのガソリンの入った瓶が割れて、引火するなと想像しました。でもスリルある。
  キャンディではこの時期、ペラヘラ祭りのために夜は普通車は町中を走れません。小さなトゥクトゥクは便利な乗り物なのです。このトゥクトゥクでキャンディの丘の上のホテルヒルトップに登り降りする時のすごさと言ったら、もう忘れられません。おそろしいくらいのスピードでガーッと登り、その間、ドライバーとシンハラ語で機関銃のように会話します。彼はエキサイティングなドライバーです。何とサイン帳を持っていて、それに何回も乗ったお客さんに書いてもらうそうで、私も書かせてもらいました。トゥクトゥクはエキサイティングな乗り物で、ぎゅーっと足に力を入れていないと振り落とされてしまいそうです。一度お試し下さい。
  キャンディの町を疾走するトゥクトゥク動画です。
  キャンディ湖畔の大衆食堂で出会った日本人女性です。フランス人の彼氏と世界旅行していました。タイ→マレーシア→スリランカ→南インド→イラン→トルコ→イスラエル→モロッコ→スペインの予定とのことでした。ゲストハウスは1泊二人で2000ルピー。シャワーは暑い所はホットシャワーが出るけど、キャンディみたいな涼しいところは水シャワーだそうです。洗濯は自分で手洗いして、あとはファンで乾くとのことでした。フランス人の彼にたばこで私の夫が今、どれだけ歯が悪くなって苦労しているかという話をしたら、いや〜な顔をされてしまいました。やはり若い時は遠い将来のことなんて考えないものなのですね。それが若いということです。電車の2等でキャンディまで来たけど、むしろ3等の方がすいていたそうです。そういう情報交換が楽しいですね。話しているうちにドライバーに日本語彼女に英語で話してしまい、もう、どっちが日本人かどっちがスリランカ人か、こんがらがってしまいました。面白くて笑いました。久しぶりに日本語をたっぷり(1時間以上)しゃべって、何かスーッとしたというか、うれしかったですね。
  キャンディ湖畔を散歩している時、木の上でおしゃべりしている子供たちに出会いました。日本では見かけない光景 です。スリランカの子供たちは、みんなとても元気でした。黒い肌に真っ白の歯が印象的です。
  ヌワラエリアの紅茶工場の案内係の女性です。この人は私の古い傘(10年以上使っている)をとても気にいって、「この傘はきれいですね。」と何回も言われたので、そのお気に入りの傘をさしてもらい、写真を撮らせてもらいました。よくお似合いです。私の古傘をほめてくれてありがとう。
  コロンボ郊外の田んぼに囲まれたドライバーの家に招待されました。お父さん、お母さん、おばあちゃん、お母さんの妹、その息子さん(いとこ)、おばあちゃんの妹、その他よくわからなかった親せきの人達、近所の人達などなど、みんなで私を待っていてくれ、お母さんは私の大好きなスリランカフードのエラワルロティーとカトレットとパリップワデーを作ってくれていました。仏陀が部屋にあり、いつお参りするのかを聞いたら、朝と夕方の2回だそうです。皆さん、日本人を見るのが初めてらしく、一挙一足じーっと見られました。はずかしい。近所の両親の家にも寄り、イケメンのお父さんにも会いました。お母さんの妹の息子さん(つまりドライバーのいとこ)が今から、仕事に行くというので、途中の町まで車に乗せてあげました。スリランカ一番の楽しい思い出です。皆さんありがとうございました。
  コロンボフォート駅前からバスに乗って、デヒワラジャンクションというバス停で降りたかったので、前の座席の家族(子供連れだったので、私と同じ動物園に行くと思った)のお父さんにお願いしました。ジャンクションで降りて、もう一度、バスを乗り換えなければならなかったのですが、彼らが乗ったトゥクトゥクに私まで乗せてくれて、一緒に動物園まで行きました。感謝でした。
  コロンボ郊外のデヒワラ動物園で、親切にいろいろ教えてくれた男性です。スリランカの人は、フレンドリーな人が多いです。
  コロンボ郊外のスリランカ人家族を家庭訪問した時の様子です。真ん中のしっかりした高校生の娘さんが、お世話してくれました。スリランカカレーの作り方も教えてもらいました。本当にいろいろありがとうございました。とても楽しかった。
  急に腰が痛くなって行ったコロンボの病院の案内係の女性です。インターナショナル部という部門があり、外国人患者の案内をしてくれます。もし、この人がいなかったら、どこの部屋へどうやって行けばいいのか、全然わからなかったと思います。本当に助かりました。最初から最後までずっと付き添ってくれました。きれいな色合いのサリーがお似合いです。
  日本に帰ってきました。成田空港で出国ロビーに出ると、何か大きな紙が見えました。「ようこそ日本へ歓迎 ●●●様」と書いてあるのが見えました。よく見たら私の名前が書かれてありました。え?誰?と思ったら………
  娘たち3人でした。サプライズです。
  みんな一緒に記念撮影。スリランカは最後の最後まで楽しい旅となりました。スリランカは、いいことはもちろん、悪いことさえ全部楽しかったのでした。もう一度、必ず行きます。
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