【油車と子どもたち】~やけくそじじいの写真展 ~ |
”油車”の地名の由来は、行灯や灯明の藩政期、油屋は重要な商売で、 この辺りに竪町の油屋(多田源兵衛)が 水車を構えたのが初めといわれています。 油屋として大正初期まで水車を使って菜種油をしぼっていたそうですが、 水車は油屋だけではなく製粉や精米にも使われ、 大正の頃までこの辺りには3つや4つの水車が回っていたそうです。 しかし、電力に押され昭和15年を最後に水車は使われなくなりました。 なぜ、油車かと言うと私(やけくそじじい)が生まれ育った所だからです。 ちなみに写真は1976年正月に撮影したものです。 |
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