スリランカの葬儀準備を見た


 【60歳からのスリランカ一人旅】

  スリランカでは、葬儀の準備として道に目印の旗が立てられるということを旅行前に読んだ本に書いてあったのですが、最初の町のニゴンボでも、確かに旗が立てられていました。ドライバーに聞くと、旗の色はそれぞれ違い、
  白        普通の仏教徒
  オレンジ(黄) 仏教僧侶
  青        大統領とか政府要人
  黒        クリスチャン
  白のハンカチのような旗  ヒンズー教徒
  告知なし     ムスリム(イスラム教徒) だそうです。
電柱から電柱にと、交互にロープを張り、そのロープに白い旗がつけられています。
「この家の人が亡くなりましたよ〜」という合図ですね。
  仏教徒の葬儀では、参列者も白衣を着るらしいです。白衣はシンハラ仏教徒であることの表明なのです。
これに対してクリスチャンの葬儀では、参列者は黒衣を着て、黒旗が掲げられます。
日本でも昔の映画などを見ると、参列者は白い着物を着ています。いつから黒い喪服を着るようになったのでしょうか?
  スリランカではお葬式のときに備えて積み立てをする住民達自身で運営している葬式互助会があり、毎月、10ルピーくらいを積み立てするそうです。会員とその家族が亡くなったとき、葬式の費用一切がこの積立金でまかなわれます。スリランカでは、どの地域に行ってもこの葬式互助会があるとのことです。日本のように互助会を葬儀社がしているのではなく、住民たち自身でというところが、本来の互助会らしいと思います。しかも毎月10ルピーなら、負担も少ないですね。またお金が足りない場合は、お金持ちの家に功徳になるからと、寄付してもらうそうです。なかなかうまくできています。
  この張り紙は、ニゴンボの町の壁のあちこちに貼ってあったものです。亡くなった人の葬儀の案内です。ニゴンボはカトリックキリスト教徒が多い町です。
  この男性は1948年1月4日生まれで、2014年7月26日に亡くなりました。宗教はキリスト教です。あとはシンハラ語なので、何て書いてあるのかはわかりません。
  この女性は1922年5月23日生まれで、2014年7月12日に亡くなりました。宗教はキリスト教。下の方に、葬儀の日時2014年7月19日の3時半と書いてあります。92歳と高齢です。
  この男性は1944年12月5日生まれで、2014年7月6日に亡くなりました。宗教はキリスト教。葬儀は2014年7月9日の3時半から。
  この男性は1954年6月27日生まれで、2014年6月24日に亡くなりました。宗教はキリスト教。葬儀は4時半から。
   この男性は1937年12月4日生まれで、2014年8月2日に亡くなりました。宗教はキリスト教です。葬儀は4時から。
  スリランカでは人が亡くなると家族全員が揃うまでお葬式をしません。海外に暮らす家族を待つこともあるので、3日〜5日、時には1週間でも家族が帰省するのを待つそうです。葬儀は必ず、自宅で執り行い、日本の様に寺や葬儀会館で行うことはないらしいです。日本では葬儀の際、遺族はいろいろなことをやらなければならず、へとへとになりますが、スリランカでは町内会や勤め先の人達がほとんど全てをやってくれるので、遺族は、静かに故人の冥福を祈っていればいいのだそうです。いいですね。また、葬儀のカレーの炊き出しも町内会の女性が協力して作り、弔問客のお世話もみんなしてくれるそうです。スリランカの葬儀、とてもいいと思います。しかもカレーという所もいいですね。
   ニゴンボのカトリック墓地です。
  キリスト教徒とイスラム教徒は土葬で、仏教徒とヒンズー教徒は火葬らしいですが、お金持ち以外は火葬にしないらしいです。火葬はとてもお金のかかることだからです。日本では当たり前のことのように思っていた火葬ですが、確かにお金がかかりますね。
  日本の様に1家族1墓ではなく、1人1墓でした。 
  写真が雨風にも耐えられるように加工してあって、とてもいいと思いました。日本では、どうして写真がないのでしょうか。
  こんな小さな子供のお墓もありました。日付を見ると、わずか3歳で亡くなったようです。かわいそうでした。
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