【第7ギョーザの店】2017年11月            
 場所・電話番号 インターネット情報  時間  料金 (2人分)

第7ギョーザの店

金沢市もりの里1-259

山側環状線沿いで
イオンもりの里店の
     向かい側

バスなら金沢大学行き
若松下車5分


電話 076-261-0825


大駐車場があります。


独自のHPはありませんが
ホワイトギョーザグループ
のHPがあります。


ホワイトギョーザ
グループHP


営業時間

午前11:00~
     午後2:00


定休日
  水曜日
  年末年始




ホワイトギョーザ中 480円

焼きギョーザ中 330円

豚汁 185円

白菜の漬物 173円

ご飯中 195円

有料個室料金 300円


合計 1663円

   

今日は”第7ギョーザの店”に行きました。

1960年代に小立野の小さなお店からスタートして、

現在は金沢大学近くのもりの里に移転して

「ギョーザ御殿」として有名なお店です。

多分、金沢の学生で食べたことがない人は、

ほとんどいないのではないでしょうか。

昔も今も、安くてお腹いっぱいになる学生の行きつけの

お店ですが、今はそれに加えて

テレビによって観光のお客さんたちにまで有名になり、

大変なことになっているようです。


実は私は第7ギョーザに来るまでは、ギョーザ(普通は

ニンニクの臭いがきつい)が全く食べられなかった

のですが、このお店で生まれて初めて

焼きギョーザ(ニンニクなし)を

食べられて、とてもうれしかった。

毎回やけどするくらい熱く、

皮はモチモチで辛い辛い辣油も豚汁も大好きでした。


   
1年くらい前に来た時は行列で30分くらい待ったので

今日は平日の開店時間すぐの11時に行きました。

列に並ぶことはなかったのですが、私の大好きな焼き

ギョーザが午後1時までは出来ないと言われショック。

その日の従業員の多い少ないによって、焼きギョーザを

包むことができるかどうかが決まるらしく、それは当日の

11時にならないとわからないとのことでした。

ほとんどの人が注文するホワイトギョーザはあらかじめ

包んだものを冷凍してあるので、いつでも大丈夫

なのですが、焼きギョーザの場合は注文を受けてから

包み始めるわけです。

ああ、昔はいつでも焼きギョーザが頼めたのに……。

と昔を懐かしむ年寄りです。


 
 

というわけで、車はそのままにして、お向かいのイオンで

2時間近くを過ごすことになりました。

その点、ショッピングセンターのご近所は便利です。



3階建てのギョーザビルの中は、1階がカウンター席

(約40席)、2階には大小の洋室・和室があり、

3階は大きな団体用の宴会場があるようです。

ギョーザ宴会……安上がりです!


従業員の方は何十人もいらっしゃるようです。

ひょっとしたら、世界最大かもしれないと思います。

まさか、そんなことはないか……。





カウンター席はこんな感じで、後ろには待ついすが置いて

あり、いすに座れない人は立って店内、または外に列を

作って立ちます。ギョーザの焼き上がるいい匂い、

美味しそうに食べている人たちの姿を見ていると

「早く食べた~い」と期待に胸ふくらみます。

またカウンター席はギョーザの達人たちが作っている

ところを全部見学できるので、臨場感たっぷりです。


 

イオンでウインドウショッピングをして、2時間後、

またまたやってきました。

いつもはカウンター席でしか食べたことが

なかったのですが、今日は2階の有料個室がどんなところ

かな~と、ちょっと興味があり右横の有料個室入り口へ。



カウンター席・テイクアウトコーナー用入り口です。



2階有料個室用入り口です。

家族連れや友人とゆっくりしたい人はこちらへ。

特に子どもさんを連れて行かれる方には、

畳のお部屋が助かりますね。

 
 

1時間300円は、なかなか絶妙なお値段ですね。

これが500円になると、やめようかなと思うし、

100円なら殺到して困るだろうし、

200円ならどっちつかずです。


電話での部屋の予約は10名からだそうです。



2階の有料個室が並ぶ通路です。

赤を基調にしたインテリア。

私達は一番突き当りの洋室になりました。

いすとテーブルの2~6人用の洋室でした。


 
 
以前、新聞に元プロ野球選手の松井秀喜がこの

第7ギョーザをお気に入りということが載っていました。

巨人在籍中は東京へ冷凍ホワイトギョーザを

年間500個くらい注文していたらしいです。

当時ここでアルバイトをしていた松井の友達が

ギョーザ好きの松井を誘ったそうです。

有名人である松井を気軽に誘えるのも、2階が個室に

なっていて、ゆっくり食事ができるからだったんですね。

今、納得しました。

人目につきにくい部屋を用意してもらったそうです。

松井の母校はこの第7ギョーザの店から

山環のトンネルをくぐってすぐの星稜高校です。


 


私達が使った洋室です。

 

こんなに大きな畳のお部屋もありました。

 
 

お部屋の窓からは、山側環状線の喧騒を忘れるような

風景が広がっており、のんびりできました。




多分、目の前の木は桜じゃないかと思うので、

4月に来ればお花見ギョーザ宴会ができそうです。


春は桜、夏は川の流れ、秋は紅葉、冬は雪景色ですね。

 
 

私達が注文したのは、いつもの

ホワイトギョーザ中(10個)1皿480円

焼きギョーザ中(5個)1皿330円

豚汁1杯185円

白菜のお漬物1皿173円

     ご飯中1皿195円     


ご飯の小は175円で2つ注文すると350円になり、

そんなに食べられないので、

いつも、中195円を2人でシェアして食べます。

このお値段は2017年11月時点のものです。

当たり前ですが40年間少しずつ値上がりしてきました。


 

呼出ボタンを押すと、ウエイトレスさん(多分、中国人

の学生アルバイトの女性だと思います)が

注文を聞きにきてくれました。



さて、この第7ギョーザの常連客の注文は

「ちゅう、ちゅう、とん!」が圧倒的に多いそうです。

ホワイト餃子中480円―ちゅう

ご飯中195円―ちゅう

豚汁185円―とん

しめて870円也でお腹一杯です。


 
 

ギョーザを待っている間に、ギョーザのタレを

自分の好みに作ります。

 


この見るからに辛そうな辣油が大好きです。

底にたっぷりと唐辛子が沈んでおり、底からスプーンで

かき混ぜて、たっぷり小皿に入れます。


 


まず、白菜のお漬物が運ばれてきました。

かなりたっぷりの量で173円です。

他に、ナス・きゅうり・大根の単品があり、

また大勢で来たお客さんのために、

ど~んとお漬物盛り合わせ692円もあります。

 

部屋に入ってから15分くらいで、焼きギョーザが、

そしてちょっとだけ遅れて、ホワイトと他の物も

運ばれてきました。


これで注文したものは全部です。

 


こちらが大部分の人が注文する人気のホワイトです。

夫は焼きギョーザも好きですが、ホワイトも好きです。

ホワイトは中(10個)と大(15個)しかありませんから

仕方なく中を注文しましたが、小食の人や年寄りには

多すぎます。残すともったいないので、

しっかりタッパーを持っていきました。




今では見られなくなりましたが、以前はホワイトを包む

作業工程をガラス越しに見ることができました。この丸い

形の方が包むスピードが速くなるのかもしれませんね。


時々、ムショウに食べたくなる焼きギョーザです。

中毒性のあるギョーザです~。

ご覧の通り、ここのギョーザは一般的な形ではなく、

丸い形をしていて、皮が厚いのが特徴です。

カウンター席と違い、やはり少しですがさめています。

猫舌の人なら、ちょうどいいですが、アチチが好きな人は

やはり1階のカウンター席がおすすめです。

但し、口の中の火傷は覚悟して下さい。

火傷しても悔いはないくらい、アチチは美味しい。

カウンター席で他の人のしていることを見ていたら、

お箸でブスッと穴を開けて、中の熱を逃がしてやるという

作戦を実行していましたが、私はやりませんね。


焼きギョーザは冷凍のホワイトと違い、注文を受けてから

皮を伸ばして包み、焼き上げるので手間がかかります。

 


左がホワイト、右が焼きギョーザです。

大きさはほとんど変わりません。

永遠の対決  ”ホワイト VS 焼き” です。

実はこの第7ギョーザは焼きギョーザの方が本来の

ギョーザでした。昔はお店の規模も小さかったので、

できたことかもしれませんが、焼きとホワイトは

半々くらいだったように思います。

ただそのことを知っているのは昔から

この店を知っている私達の様な年寄りだけで、

現在では焼きギョーザを頼む人はとても少なくなりました。

しかも、焼きギョーザは昔のように、いつでもというわけ

ではなくなり、時間帯によっては提供されていないという

ことになってしまいました。残念なことになりました。



豚汁です。

家庭で作る豚汁と違い、野菜はネギだけです。

昔はネギがこんなにゆで過ぎではありませんでした。

好き好きとは思いますが、

大きいネギがホニョ~ンとなっています。

大きな組織になると、こういうことも起こってきますね。

でも、救いだったのは、ここんところ、化学調味料の

味が濃厚で、ちょっと気持ち悪くなるくらいでしたが、

今回はほとんどしませんでした。改善したかな?


 
 

今日は個室なので、ちゃっかりデザートの柿を

持参していきました。


ここのお店はデザートは販売していません。

果物は肉の消化をよくしてくれます。
 

空いたタッパーに食べられなかったホワイトを入れて、

家に持ち帰りました。

捨てたら、痛いつらい思いをして人間のために

死んでくれた豚ちゃんがかわいそう過ぎます。

 
   
お勘定をしてもらう時に、レジの従業員の方と

ちょっとだけお話ししました。

お客さんを個室に案内する時は必ず

「時間がかかっても大丈夫ですか?

一応、基本的には焼き上がりまで20分ですが、

混雑時には40分以上かかりますが、大丈夫ですか?」

と確認するんですよ。とのことでした。

新幹線の時間が迫っていたりしたら、責任問題ですよね。


第7ギョーザについて、調べてみたり、知り合いから聞いた話や、自分達の知識も重ね合わせてみました。

間違っていたら、ごめんなさい。

創業者は柏野幸一(かしわの こういち)さんという方です。

幸一さんが戦争中に中国東北部へ従軍している時に、知り合ったのが九州出身の辰子さんです。

彼らは日本に引き上げる前に、中国人にギョーザの作り方を教わりました。

日本に帰り、2人は結婚し、金沢の尾山町で戦後の混乱期から昭和30年台くらいまで、ギョーザ屋台を営業

していたそうです。(つまり今から名付ければ
第1ギョーザの店ということになります)


やがて屋台だけでなく、でも浅野川沿いに、店を構える様になり、
第2ギョーザの店が誕生します。

幸一さんと辰子さん夫婦・長女のふみさん・次女の幸子さん・辰子さんの妹と従業員がその店で働きました。


辰子さんの妹さんが美川にお嫁に行き、第3ギョーザの店を作りましたが、ご主人が寿司職人だったので、

2~3年でやめてお寿司屋さんになったらしいです。


第2ギョーザの店が人気店となったので、それならばと長女のふみさんは広坂に
第5ギョーザの店

オープンすることになりました。もちろん現在はありません。


第2ギョーザの従業員だった上野善正さんも、のれん分けで第6ギョーザの店を開き、現在は神田で営業。

今はギョーザ専門店ではなく、居酒屋という感じになっています。


そして、やはり第2ギョーザの店で働いていた従業員の元雄 久直さんがのれん分けで独立して小立野に作った

のが現在の
第7ギョーザの店です。そして長女のふみさんがこの元雄 久直さんにお嫁入しました。

この奥さんのふみさんは私達が小立野店に昔、何回か行った時に、お店で働いていらっしゃって、そのお顔を

今でもよく覚えています。そのふみさんの娘さんが、その頃、まだ中学生くらいだったかなと思いますが、

現在、”株式会社 第7ギョーザの店”の社長さんだとお勘定の時に聞いて、またまたびっくりでした。

お父さんの元雄 久直さんは現在、会長さんだそうです。

この間、ニュースを見ていたら、会長さんが食品衛生協会から優良店として表彰された様子が映っていました。

第7ギョーザの店は1964年に25坪の規模からスタートし2017年で創業53年ということになります。

「7」が英数字なのは、「七」は「亡」に似ているので、縁起が悪いからだそうです。

そういえば確かに似ていますよね。


次女の幸子さんもお嫁に行き、橋場町に
ギョーザの店橋場店をオープンします。なぜか、第8ギョーザの店とは

なりませんでしたが、私はここが面白いなと思います。この橋場店は現在ありませんが、まだ営業している時に

私達は食べに行ったことがあります。第7の焼きギョーザよりも、さらに大きく皮の強力粉の割合が高く、

もっちもっちで、ホワイトはありませんでした。私達が聞いたところによると、第7の奥さん(ふみさん)の

お姉さんだということでしたが、これは間違いで妹さんだったんですね。

昔のことで、私達の頭もかなりぼけてきているのではっきりとは覚えていません。あまり信用しないで下さい。


ということは第1・第2・第3・(第4は縁起が悪いのでなし)・第5・第6・第7・橋場店(第8)のうち、

現在も残っているのは第6と第7ということですね。



ところで、営業時間などを調べたくて、第7ギョーザの店のホームページを探したのですが、

独立したものはありませんでした。

「ホワイトギョーザグループ」というサイトの中に、第7ギョーザの店が存在することを知って、かなり

驚きました。第7ギョーザはホワイトギョーザグループのチェーン店でしょうか?

もともと創業者が中国で習ってきた焼きギョーザは、注文が入ってから作り始めるので、時間がかかり

お客さんを待たせることになるという気持ちから、第7の元雄さんが千葉県野田のホワイト餃子本店へ

修行に行き、覚えたものだそうです。第7ギョーザの店は、ホワイト餃子のチェーン店ではなく、

技術連携店です。

そういうわけで、ホワイトギョーザは金沢の第7ギョーザだけでなく、全国に存在するということになります。

知りませんでした~。金沢以外のホワイトギョーザは、どんなのなんでしょうね。

先日、長女と話していたら娘の町にもホワイトギョーザの店があるらしいのですが小さい小さいお店だそうです。

面白いのはホワイト餃子の創業者も中国で、白(パイ)福寿さんという中国人から餃子作りを教わり、

戦後、日本へ引き上げて餃子店を開く時に、始めは「白パイ餃子」にしようと思いましたが、

英語に変えて「ホワイト餃子」になったということです。


つまり、金沢ギョーザの創業者の柏野さんも、千葉のホワイト餃子の創業者も、中国東北部でギョーザを

習ってきて、戦後、中国東北部から日本に入って来たギョーザ文化。ホワイトギョーザは千葉県に、

焼きギョーザは金沢へ、そして、金沢の第7ギョーザの店で、焼きギョーザとホワイトギョーザは共に

人々に愛されてきました。

 

今日は初めて有料個室を利用しましたが、いつもは火傷するようなアツアツが食べられるカウンター席を利用します。

昔は(小立野にあった旧店舗のこと)、今のもりの里店のように、近代的な IHヒーターではなく、お店も狭くて、

ごっついガスコンロの直火で、ガスの炎やら煙やら焼ける音がすごくて、食べる前から、目から鼻から耳から

楽しめたものでした。もちろん、ガスコンロは掃除が大変だし、IHが楽なのは知っています。

でも何か違うなと感じるのは、年寄りの悪い癖です。


あの頃は、お父さん(現会長)、お母さん、娘さん(現社長)らが家族総出でお店で働いていらっしゃって、

他に”すご腕”の従業員の方も何人かいらっしゃって、その中でも、私達にとって印象的で忘れられないのが

「名人」と私達が勝手に名前をつけていた方です。その名人は、どんなに忙しくても、忙しさを全く顔に出さず

ニコニコと焼きギョーザの皮を惚れ惚れするような手つきでハイスピードで作っていました。

その姿を見るのも、第7ギョーザのひとつの楽しみでした。


時代と共に変わっていくのは仕方がないことでしょうが巨大化することによって失われるものも大きいと思います。

できることなら、創業者さんが中国で習ってきた焼きギョーザがいつ行っても食べられるようにお願いしたいです。

あの名人がいれば、あっという間に、焼きギョーザを作ってくれるのに………。 

どうか、ギョーザ工場にならないように。



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